つか

大分類万葉神事語辞典
分野分類 CB文学
文化財分類 CB学術データベース
資料形式 CBテキストデータベース
+項目名つか;塚
+表記
TitleTsuka
テキスト内容土を小高く盛った場所をいう。「葦屋の処女が墓を過る時に作る歌」に「葦屋の 菟原処女の 奥つ城を 我が立ち見れば 永き世の 語りにしつつ 後人の 偲ひにせむと 玉桙の 道の辺近く 岩構へ 作れる塚を」(9-1801)とある。菟原処女の墓所である「奥つ城」を「塚」と言い換えており、また紀には「冢墓(はか)」、「古冢(ふるはか)」とあり墓所を指す言葉として「塚」が用いられている。また「ツカサ」は「築き重なる」義か「サ」が接尾辞かは不明であるが、雄略記には「倭の 此の高市に 小高る 市の高処(つかさ) 新嘗屋に 生ひ立てる 葉広 斎つ真椿」(100番歌謡)とあり、高いところに市が開かれ、さらに市の高い場所に「新嘗屋」が立ち、葉が広い神聖な椿が植えられるという。「ツカサ」はそうした神聖な場所である。万葉集には「高松の野山づかさ」(10-2203)とあり、里とは異にしている場所であるといい、さらに「高円の宮の裾廻の野づかさに」(20-4315)は聖武天皇の高円離宮一帯の野辺をさし、天皇への敬慕の念が込められている。後に土地が盛り上がった頂点の意から「役人」(ツカサ)を指すようになったものとされる。
+執筆者鈴木道代
-68710402009/07/06hoshino.seiji00DSG000536つか;塚Tsuka土を小高く盛った場所をいう。「葦屋の処女が墓を過る時に作る歌」に「葦屋の 菟原処女の 奥つ城を 我が立ち見れば 永き世の 語りにしつつ 後人の 偲ひにせむと 玉桙の 道の辺近く 岩構へ 作れる塚を」(9-1801)とある。菟原処女の墓所である「奥つ城」を「塚」と言い換えており、また紀には「冢墓(はか)」、「古冢(ふるはか)」とあり墓所を指す言葉として「塚」が用いられている。また「ツカサ」は「築き重なる」義か「サ」が接尾辞かは不明であるが、雄略記には「倭の 此の高市に 小高る 市の高処(つかさ) 新嘗屋に 生ひ立てる 葉広 斎つ真椿」(100番歌謡)とあり、高いところに市が開かれ、さらに市の高い場所に「新嘗屋」が立ち、葉が広い神聖な椿が植えられるという。「ツカサ」はそうした神聖な場所である。万葉集には「高松の野山づかさ」(10-2203)とあり、里とは異にしている場所であるといい、さらに「高円の宮の裾廻の野づかさに」(20-4315)は聖武天皇の高円離宮一帯の野辺をさし、天皇への敬慕の念が込められている。後に土地が盛り上がった頂点の意から「役人」(ツカサ)を指すようになったものとされる。537つか塚鈴木道代つ1
資料ID32146

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