テキスト内容 | 長い年月。万代とセットに使用されることが多い。万葉集に10例。過去にも未来にも使用される。過去の場合には、「神さび」(神々しい)状態から栄えてきた年月をおもいやる。松(6-990)、歴代天皇の治世(19-4254)に対して、悠久の歴史の重さから人智を越えた神秘さを感じて、その荘厳さを詠む。未来の場合は、皇族・貴人、恋人や死者に対して使用される。①持統天皇の宮(1-79)、②草壁皇子の宮(2-183)、③天皇の寵愛(20-4508)、④久米朝臣広縄(19-4232)がある。この中で②は挽歌である。主人が他界し、「千代」に続かないことに大いに不安を抱き、「千代」を願う心情が発せられる。①の宮も平城京遷都にともない、結果的には永遠には続いていない。③天皇の寵愛も途切れる不安がある。④も遊行女婦の歌であるから、一時的な擬似恋愛を基盤に「千代」の関係を願っている。恋人との関係において「千代」が使用される場合には、「千代」に逢えないことを想像して詠む(11-2528、2598)。ネガティブな心情をもとに「千代」が用いられる。挽歌でも死者の名が「千代」に伝わることを願っているが、その背後には「千代」に伝わらない不安を読み取る必要があろう。例えば、姫島で行き倒れた娘子の屍を見ながら娘子の名が「千代」に伝わることを願っている(2-228)。このような死者(行路死人)は祟るので、祟られないように名を伝えることを願ってやる。やはり祟ることへの不安が背後にある。歌表現としての「千代」には、永遠に対する感嘆・願いの背景に、永遠が続かないことへの不安が存在する。坂本信幸「妹が名は千代に流れむ―姫島の松原の娘子の歌」『日本古典の眺望』(桜楓社)。 |
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