テキスト内容 | 分かれ道。「ち」は「道」、「また」は「股」。多くの分かれ道は「八衢」と呼ばれる。衢には衢を支配する神がいた。記紀には道に関わる神が多く見られるが、「道の饗の祭」の祝詞には「大八衢にゆつ磐むらの如く塞ります、皇神等の前に申さく、『八衢ひこ・八衢ひめ・くなどなどと御名は申して』」のように、八衢の神が登場し道を管理している。万葉集に詠まれる衢は、八衢として詠まれていて、恋歌に見られるのを特徴としている。「橘の影踏む道の八衢に物をそ思ふ妹に逢はずして」(2-125)、「言霊の八十の衢に夕占問ふ占正に告る妹相寄らむと」(11-2506)、「椿市の八十の衢に立ち平し結びし紐を解かまく惜しも」(12-2951)のように成立する恋歌は、おそらく歌垣の場を背景としているものと思われる。市は、古代では歌垣の行われる場所であり、椿市は有名であった。四方八達の衢は、異国人たちが交易のために集まり、そこには多くの人々が満ちあふれ、臨時に開かれる歌垣で賑わったのである。それを証明するように「紫は灰さすものそ椿市の八十の衢に逢へる児や誰」(12-3101)があり、行きずりの男が八衢で女性に名を尋ねるのであるが、女性は「たらちねの母が呼ぶ名を申さめど道行く人を誰と知りてか」(12-2102)と、母の呼ぶ名は行きずりの者には教えないのだと反発する。これは歌垣における名を問うことをテーマとした歌の断片であり、明らかに歌垣の折の掛け歌であることを教えている。辰巳正明『詩の起原』(笠間書院)。 |
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