テキスト内容 | 勢いのある、強暴な、荒々しいの意。①神を導く枕詞。②神の勢力を表しながら対する人の表現性を高める。③宇治にかかる枕詞。①では倭建御子が東国平定に向かう途上、相模の国造が倭建御子をだましたて「此の沼の中に住める神、甚(いた)く道速振(ちはやぶ)る神なり」(景行記)と述べ、神の荒々しい性質を形容する。万葉集では神の荒々しさ自体を表現するためではなく、神そのものを導く意味で多く用いられ、「夜並(よなら)べて君を来(き)ませと千石破(ちはやぶる)神の社(やしろ)を祈(の)まぬ日はなし」(11-2660)「我妹子(わぎもこ)にまたも逢はむと千羽八振神の社(やしろ)を祈(の)まぬ日はなし」(11-2662)などのように用いられる。大伴宿禰が巨勢郎女を娉(つまどひ)した時の歌には「玉葛実(たまかづらみ)ならぬ木には千磐破神をつくといふ成らぬ木ごとに」(2-101)と言い、巨勢郎女を実のならない木に譬え、自分に心を寄せないならば恐ろしい神に憑りつかれてしまうと脅す。これは「木に実がならないのは邪神がとりついているせいだとする民間信仰がある」(『釈注』)ことで、「ちはやぶる」が「皇威の畏しき力を振るまふ」(折口信夫『全集2』)神威を強める表現効果を持つ。万葉集「寄神祇」には「千葉破神の齋垣(いがき)も越えぬべし今は我(わ)が名の惜(お)しけくものなし」(11-2663)と詠まれ、神威に対する禁忌を犯せば犯すほど、人間の気持ちの強さが示されていく。また万葉集の大伴坂上郎女の「怨恨歌」には「千磐破 神か放(さ)けけむ うつせみの 人か障(さ)ふらむ」(4-619)の例がある。神が二人の仲を裂こうとするのか、それとも人が邪魔をするのか(『全注』)、神と人とを対(つい)で表現するところに人の激しさが表現される。③宇治にかかる枕詞としては「山背(やましろ)の 管木(つつき)の原 血速旧(ちばやふる)宇治の渡り」(13-3236)があり、宇治川の流れの速さと波の勢いに見られる自然の強さを具体的に示している。 |
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