テキスト内容 | たおやかな女性。なよなよとした女性。形状言「たわ(撓)む」に女性を示す「め(女)」が付いたもの。類義語として記歌謡に「多和也腕」があり、女性のしなやかな手を意味する。たはやめは、記では天照大御神と須佐之男命のうけひの段において、「我が心清く明きが故に、我が生める子は、手弱女を得つ」と、清明心のあらわれとして、手弱女を生むという表現がみられる。万葉集では、男性が女性を表現する際に用いることはなく、笠金村による代作の歌「たわやめの我が身にしあれば」(4-543)、「大伴の坂上家の大娘の大伴の宿禰家持に報へ贈れる歌」(4-582)など、女性が自身を指し、また、石上乙麿は「手弱女」(6-1019)に迷ったとして土佐へ配流されている。ますらをの対とされる。注目されるのは、「大伴坂上郎女の神を祭るの歌」(3-379)において、祖神である天忍日命を詠み、自身を手弱女としてる点から、手弱女に巫女としての意識をみることが出来る。この歌は、「神を祭る歌」としながらも実際は恋歌であり、手弱女は恋歌における歌語と捉えることも出来よう。しかし、前述のように記のうけひ段における手弱女のあり方や、3-379で、襲衣を懸けて祈る手弱女からは、神に仕える存在としての手弱女をみることが出来る。 |
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