テキスト内容 | 玉は美称で、美しい藻を意味する。海水、淡水いずれの例も見られる。そのやわらかで美しい情景は、女性の姿態や男女共寝の感覚の表現として登場する。柿本人麻呂の明日香皇女挽歌(2-196)では、「飛鳥の 明日香の川の…(中略)…石橋に 生ひ靡ける 玉藻ぞ 絶ゆれば生ふる 打ち橋に 生ひをれる 川藻ぞ 枯るれば生ゆる」と、延々と再生を繰り返す明日香川の川藻の描写が、永遠の時間の表象として歌われている。さらに明日香皇女挽歌では、「何しかも 我が大君の 立たせば 玉藻のもころ 臥せば 川藻のごとく 靡かひの 宜しき君が」と、亡くなった明日香皇女の生前の美しい姿の比喩として用いられ、永遠と思われた皇女の美しさが、皇女の死によって断ち切られた悲しみが歌われている。また、同じく柿本人麻呂の「玉藻なす 寄り寝し妹を」「玉藻なす か寄りかく寄り 靡かひし つまの命の」などは、男女共寝の感覚を、靡き、からみつく藻の感覚を喩として表現する例である。玉藻を刈る情景は、海のない奈良の都の人にとって見馴れない異境の風景として旅の歌にしばしば詠まれる。柿本人麻呂の留京三首の「大宮人の 玉藻刈るらむ」(1-41)は行幸時の遊楽としてのそれであるが、麻續王が伊勢国伊良虞嶋に配流となった時の歌の「玉藻刈ります」(1-23)「玉藻刈り喫む」(1-24)は海人のように落ちぶれた王の姿を歌っており、玉藻を刈る行為は基本的に都人が決して行わない行為、地方の民の行為であった。「玉藻刈る」が枕詞として「敏馬」「辛荷の島」などの地名に冠される例も、半ば実景としての玉藻を刈る情景が重なっていると見られる。万葉後期には玉藻を刈る行為は「海人娘子」の行為として「玉藻刈る 海人娘子」という常套表現も形成し、旅先の優美な情景として美化されてゆくが、それも前記した優美な女性の姿態の比喩となる玉藻と根底でつながっているのだろう。 |
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