たまのうら

大分類万葉神事語辞典
分野分類 CB文学
文化財分類 CB学術データベース
資料形式 CBテキストデータベース
+項目名たまのうら;玉の浦
+表記玉の浦
TitleTamanoura
テキスト内容地名。①和歌山県東牟婁郡那智勝浦大字粉白字玉ノ浦。②遣新羅使が通過した備中(岡山県)の沖あいにある浦。この玉の浦は玉島などと同じく、神の鎮座する場所で、玉つ島、神島などとも呼ばれる。①は、「紀伊国にして作る歌」(9-1692)にみえる。紀伊国には聖武天皇が玉つ島に行幸し、島の神を祀った記録があり、この一帯には神を祀る島々が点在した。玉の浦とはこうした神々のいる浦を指したものであろう。②は遣新羅使が大伴御津から出発し、敏馬を過ぎ、淡路島を通り、明石浦に船をとめ、さらに、家島を過ぎ、玉の浦に船をとどめた(15-3627)、と詠われている。また、海路の途次の歌に武庫の浦・印南都麻・玉の浦・神島と詠まれてゆき、この玉の浦・神島で航海の安全を祈る祀りが行われ、海路の歌が捧げられた。
+執筆者曹咏梅
コンテンツ権利区分CC BY-NC
資料ID32120
-68684402009/07/06hoshino.seiji00DSG000510たまのうら;玉の浦Tamanoura地名。①和歌山県東牟婁郡那智勝浦大字粉白字玉ノ浦。②遣新羅使が通過した備中(岡山県)の沖あいにある浦。この玉の浦は玉島などと同じく、神の鎮座する場所で、玉つ島、神島などとも呼ばれる。①は、「紀伊国にして作る歌」(9-1692)にみえる。紀伊国には聖武天皇が玉つ島に行幸し、島の神を祀った記録があり、この一帯には神を祀る島々が点在した。玉の浦とはこうした神々のいる浦を指したものであろう。②は遣新羅使が大伴御津から出発し、敏馬を過ぎ、淡路島を通り、明石浦に船をとめ、さらに、家島を過ぎ、玉の浦に船をとどめた(15-3627)、と詠われている。また、海路の途次の歌に武庫の浦・印南都麻・玉の浦・神島と詠まれてゆき、この玉の浦・神島で航海の安全を祈る祀りが行われ、海路の歌が捧げられた。511たまのうら玉の浦曹咏梅た1

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