テキスト内容 | 呪術・装飾等に用いる美しい石(宝石)。また真珠玉(珠)。真珠(タマ)は魂と同根という。鉱物性のもの、真珠や竹の管、そのほか植物の実の玉形に作られたものなど素材の範囲が広い。玉の霊的本質に迫ったのは、土橋寛(『日本語に探る古代信仰』)で、その理解は次の如きであった。玉が霊魂と結びつくのは、直接的ではなく。「生命(力)」を媒介にしているであろう。玉を連ねた「玉の緒」が「生命」と融即していることは、古墳の装飾品の「玉の緒が、故意に破壊されている例があること、生命を「玉の緒」と表現したり(19-4214)、単に「緒」と表現した歌(記22、紀18)があることが、これをよく物語っている。この「玉の緒」と「生命」との融即的同一性を媒介として、「玉」は攻め威力としての「霊魂(タマ)」と結びつく、という。また「天之瓊矛」に神代紀は「瓊、玉也。此云努。」と注する。これによれば、瓊矛(ぬぼこ)のヌはニの訛であるから、「ニ」も「タマ」と同様、生命力とタマの両方の意味があることになる。すなわち「玉=瓊」が霊力をもつ呪物の代表的存在だったからである。類句に「玉陰」「玉葛」「玉櫛」「玉匣」「玉釧」「玉垂」「玉手」「玉床」等々がある。この場合は、接頭語として名詞に冠し、あるいは比喩的にそのものをうつくしいとほめる義に用いたものである。「玉陰」は日陰の蔓、「玉葛」は蔓のある植物の総称で、蔓くさの生命力の強さを象徴的に表現するもの。「玉櫛」は、美しい櫛の意だが、玉串を連想し、神霊の宿る枝を掛ける。「玉匣」は美しい匣の意だが、クシゲ自体が霊を想起させ、さらに、調髪の道具を入れるとあることから、ここでは髪の呪的機能をも重ねる。「玉釧」は玉をつないで作った釧。仁徳記の記事等から見れば、呪物としての意味あいを含む。以下、「玉垂」「玉手」「玉床」いずれも美称的に用いていると同時に、マジカルな要素を纏綿させている。 |
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