たごのうら

大分類万葉神事語辞典
分野分類 CB文学
文化財分類 CB学術データベース
資料形式 CBテキストデータベース
+項目名たごのうら;田子の浦
+表記田子の浦
TitleTagonoura
テキスト内容富士川西岸の、静岡県庵原郡の蒲原・由比・倉沢の海浜を指す。万葉集には田口益人が上野国の国司として赴任する際の歌に「清見の崎」(3-294)とともに「昼見れど飽かぬ田子の浦大君の命恐み夜見つるかも」(3-297)と詠まれる。「見れど飽かぬ」の語は、対象の景物を讃美する常套表現であり、「滝のみやこは見れど飽かぬかも」(1-36)などと表現されている。ここでは、昼間だったらいくら見ても見飽きない田子の浦を夜見ることになってしまった思いが大君の恐れとともに表わされているが、この恐れは都から上って薩埵峠を越え、田子の浦という地を眼前にした際の土地神に対する恐れでもあった。山部赤人の「富士の山を望む歌」の反歌に「田子の浦ゆうち出でて見ればま白にそ富士の高嶺に雪は降りける」(3-318)と詠むこの1首も同じく薩埵峠を越えた際の景をそのまま詠んだものとも考えられるが、こうした歌はこの土地を領有する神への手向けの歌でもあった。
+執筆者城﨑陽子
コンテンツ権利区分CC BY-NC
資料ID32096
-68660402009/07/06hoshino.seiji00DSG000486たごのうら;田子の浦Tagonoura富士川西岸の、静岡県庵原郡の蒲原・由比・倉沢の海浜を指す。万葉集には田口益人が上野国の国司として赴任する際の歌に「清見の崎」(3-294)とともに「昼見れど飽かぬ田子の浦大君の命恐み夜見つるかも」(3-297)と詠まれる。「見れど飽かぬ」の語は、対象の景物を讃美する常套表現であり、「滝のみやこは見れど飽かぬかも」(1-36)などと表現されている。ここでは、昼間だったらいくら見ても見飽きない田子の浦を夜見ることになってしまった思いが大君の恐れとともに表わされているが、この恐れは都から上って薩埵峠を越え、田子の浦という地を眼前にした際の土地神に対する恐れでもあった。山部赤人の「富士の山を望む歌」の反歌に「田子の浦ゆうち出でて見ればま白にそ富士の高嶺に雪は降りける」(3-318)と詠むこの1首も同じく薩埵峠を越えた際の景をそのまま詠んだものとも考えられるが、こうした歌はこの土地を領有する神への手向けの歌でもあった。,487たごのうら田子の浦城﨑陽子た1

PageTop