テキスト内容 | 奈良市の春日山の南に連なる山。もしくはその一体の野を指し、聖武天皇の離宮があったとされる。また、「高松」の用字で「たかまと」と訓ませる解釈も存する。万葉集では、春の訪れを知る歌(6-948、8-1440等)や、秋の訪れを知る歌(8-1571、8-1605等)など、季節を窺うことの出来る山として詠われる例や、狩場としての高円山(6-1028)、遊楽の場としての高円の山や野(8-1629)などが見られる。「霊亀元年歳次乙卯の秋九月に、志貴親王の薨りましし時の歌」(2-230、2-231)に、志貴親王を陵のあった高円山において偲ぶ歌が詠まれていることや、「高円の野辺の秋萩」を親王の形見として偲ぶ歌(2-233)など、親王の宮のあった三笠山とともに、縁のある場所として詠まれている。また、「高円の離宮処を思ひて作れる歌」(20-4506~4510)は、聖武天皇の離宮である高円にあった宮を偲ぶことで聖武自身を偲ぶ歌群であり、荒れてしまった宮に対して、「千代に忘れむ」(20-4508)とする聖武への思いと共に、20-4509では、聖武の見た高円の野辺に標縄を張るという表現から、聖武の支配域としての高円、聖武を偲ぶ聖域としての高円という意識を窺うことが出来る。 |
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