テキスト内容 | 万葉集において「高照」と「高光」「高輝」とを表記上区別する立場から、前者についてタカテラスとよまれる。万に「高照」の表記は6首7例あり、いずれも「日の皇子」の語が後接する。一般に「日」にかかる枕詞と解されるが、「高光る」とは異なり、例外なく「日の皇子」に冠される点からすると、それにかかる枕詞とも考えられる。タカは賛称。テラスについては、あまねく照らす意の他動詞とみる説と、照り輝いていらっしゃる意で自動詞テルに尊敬の助動詞のスが付いたものとみる説とがある。いずれにしても同類の「高光る」よりも「日の皇子」との密着度が高く、より敬意を込めた表現と考えられる。用例には「高照らす日の皇子」と2句のみで用いた例(2例)と、これに大君賛美の表現である「やすみしし我が大君」を冠して4句で用いた例(5例)とが見られる。初出例は前者で、689(持統3)年に薨去した草壁皇子に対する柿本人麻呂の挽歌(2-167)である。これは天武天皇を対象とする。また後者は、692(持統6)年頃、軽皇子(後の文武)が安騎野に遊猟した折、皇子を讃えて用いた人麻呂作歌(1-45)の例を初例とする。以下、諸例の年次と対象は、不明の1例(13-3234)を除くと、天武の御斎会の折の歌(2-162、2例)=693(持統7)年・天武、藤原宮役民作歌(1-50)・藤原宮御井歌(1-52)=694(持統8)年頃・持統で、使用年次は持統の即位前後から藤原宮への遷都にかけての一時期に集中し、対象も天武・持統・軽に限られている。持統朝は律令国家の確立が図られた時代であり、この表現はその君主たる天皇に対する最高の賛辞として人麻呂によって生み出されたものと考えられる。それが天武を基点とするのは、天武が律令国家の始祖ともいうべき存在だからであり、表現が藤原宮の建設が進められた持統朝の一時期に集中するのも、この時期に国家意識が高揚し、新たな天皇像が自覚的にとらえられたことによる。律令国家の天皇像は現神(あきつかみ)としてのそれであり、この賛辞は、宮廷の日の神の信仰を背景に、そうした天皇像を明示すべく生み出された神格化表現の一つと考えられる。 |
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