テキスト内容 | 「やまと」にかかる枕詞。ヤマトが①国を指す場合②奈良盆地一帯を指す場合の両用のかかりかたがある。①の例には、万葉開巻歌において歌の作中主体である天皇がこの国はすべて自分のものだと宣言したことばのなかの「そらみつ 大和の国は 押しなべて 我こそ居れ」(1-1)などが挙げられ、②の例には、人麻呂作の近江荒都歌に詠まれた近江への遷都の際の描写、「そらみつ 大和を置き あをによし 奈良山越えて」(1-29或云)などが挙げられる。四音の枕詞は古層の枕詞とされ、一般に語義も、どうして下接の語句にかかるかも未詳であるが、当該語句の場合も同様である。紀の巻3神武条の末尾には、饒速日(にぎはやひ)命が天磐船(あめのいはふね)に乗って太虚(そら)を翔けめぐり、この国を見つけて天より降りられたので、「虚空(そら)見つ日本(やまと)の国」と名付けられたという地名起源説話がある。ソラミツを「空から見た」と捉える立場である。これが当時の一般的解釈であったらしいことは、万葉集における表記がいずれも「虚見(つ)」ないし「空見(つ)」(「つ」は仮名または無表記)とされているところから推測できる。なおソラは神のあらわれる空間と考えられていたらしい。紀では天地開闢の時にやがて国常立尊(くにのとこたちのみこと)となる一物が「虚中(そらのなか)」に生れたとされており(巻1第一段一書第一)、同じく紀では天津彦火瓊瓊杵尊(あまつひこほのににぎのみこと)も「虚天(おほぞら)」において生れたとされている(巻2第九段一書第二)。天啓もソラにあらわれ、例えば紀の巻12履中5年9月の記事では、風の音のように「大虚(おほそら)」に呼ばわる声が天皇に皇妃薨去を報せたとある。従って上のような表記は、神が空からヤマトを見ているという観念のあらわれとみることができよう。一方で②の例を異伝とする歌の本文には、「天に満つ 大和を置きて あをによし 奈良山を越え」(1-29)とあり、これは「空に満つ-山」という意味のかかりかたとみることができる。人麻呂による枕詞の再解釈の試みの一環と考えるべきであろう。 |
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