テキスト内容 | 万葉集の三大部立の一。贈答の歌の意。巻1に雑歌、巻2に相聞歌、挽歌の分類が見える。また、巻8・巻10には相聞歌を季節分類している。男女・夫婦・親子・兄弟姉妹・友人などが贈答した歌を指す。大伴家持の作品に「離絶数年、復会相聞徃来」(4-727)と見えるのが本来の使い方であり、山田孝雄は漢語に一般的に見える相聞は、「往復存問」の意味であるとしている。相聞という漢語は、互いに手紙等をやり取りすること。その中でも万葉集では男女の恋歌の贈答が多いことから、恋歌の意味としても理解されている。相聞歌の発生は手紙のやり取りではなく、古代の習俗である歌垣における男女の掛け歌にあり、その掛け歌の方法が基本となったと思われる。そうした歌垣の方法は地方から都市へと至り、都市の中でも盛んに歌掛けが行われていたことが万葉集の恋歌から知られる。そのような歌掛けの歌が、掛け歌の繋がりを無視して独立した形で集積されたが、それでもこれらの歌の背後に掛け歌の方法があることにより、漢語の理解者が相聞歌と名付けたものであろう。本来ならば『文選』の分類する「贈答」で済むはずであるが、贈答を用いず相聞としたのは、『文選』以外の方法を意図したからである。巻2の冒頭に載る相聞歌は磐姫皇后の連作であるが、これは夫婦の愛のあり方を教える歌である。行幸へと出かけた夫を待つ皇后は、とても待ちきれないという思いを述べ、このように深く思う恋の苦しさよりも死んだ方が良いといい、このように待ち続けていると黒髪に霜が置くだろうと嘆き、秋の田の稲穂の上に置く霧のように、私の恋はどこに向かって晴れるのかという。このような妻(皇后)の思いが、夫を愛する情であることを指し示したのである。その意味では、この一連の皇后の恋歌は、皇妃の婦徳を示した歌であり、理念としての恋歌であることからも、磐姫皇后に仮託されたものといえる。相聞歌はこの皇后の歌を基準とすることで、さまざまな恋の歌が展開するのである。 |
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