テキスト内容 | 万葉集三大部立の一。①祭祀、儀礼の歌。②人生の苦に関わる歌。万葉集巻1・巻2の両巻は原撰部(奈良朝以前)と考えられていて、巻1には「雑歌」、巻2には「相聞歌」「挽歌」の分類目を見る。なぜこの名称をもって三大部立としたのかは、現在も不明。雑歌と挽歌の名は『文選』に見え、相聞歌は手紙のやり取りを意味する相聞によると説明される(小島憲之「万葉集の三分類」『上代日本文学と中国文学 中』塙書房、山田孝雄「相聞考」『万葉集考叢』宝文館)。歌集を3つに分類するのは、『詩経』が風・雅・頌とするのを見るが、ここから直接的に万葉集の三大部立を導くことはできない。①は、巻1収録の雑歌を見ると、「雑」の概念はさまざまであるが、祭祀・儀礼に多く関わることが知られるから、通説のように晴の歌が集められていることが窺われる。しかし、晴の歌がなぜ雑歌に分類されるのかについては説明が困難である。『文選』には「雑歌」「雑詩」「雑擬」があり、ここに雑歌の分類が見られるが、この雑歌は雑詩に収まらない作品であり、歌と詩とを区別する意識による。雑詩は他に分類出来ない作品や詩題を詠む作品群であり、種々の作品を収めている。雑擬は過去の作品に擬える作品群である。この意味では雑歌よりも雑詩が万葉集の分類目の雑歌に最も近い。巻1の作品群を『文選』詩編の分類目に合わせて見ると、献詩(3番歌など)、公讌(16番歌)、祖餞(62番歌)、遊覧(5番歌など)、詠懐(13番歌など)、贈答(20番歌など)、行旅(17番歌など)、郊廟(1番歌など)、軍戎(8番歌)に相当する。『文選』はこれらに続いて挽歌、雑歌、雑詩、雑擬の分類目を置く。おそらく献詩から軍戎までの歌が晴に関係する作品であるはずであり、雑歌を以て分類したのは、『文選』の分類学を初めから取っていないことを意味する。その証拠は相聞歌の分類であり、『文選』の「贈答」に基づけば済むことである。それにも関わらず相聞を『文選』以外に求めたのは、雑歌も挽歌も『文選』から導いたものではないからである。それであるならば、万葉集の三大部立の通説を再考する必要が生じる。そこで考えられるのは、この三大部立は、分類者の深い人間理解にあったということである。巻1雑歌群から見えてくるのは、祭祀・儀礼・讃仰・祈りであり、それは神と深く関わる。巻2相聞歌群から見えてくるのは、男女・夫婦の愛である。同じ巻2挽歌群から見えて来るのは、あるべき人や愛する人の死への悲しみである。ここには、「神」と「愛」と「死」がテーマとして認められ、それは分類者の人間理解から発したものだと考えるべきではないか。巻1の雑歌とは、神に対する祭祀や儀礼や讃仰、あるいは祈りを中心として纏められた一群であったと思われる。雑歌がそのような意味を持つのは、もう1つの雑歌の性格から理解される。②は、巻5に「雑歌」と見られ、巻16に「有由縁雑歌」と見える。巻5の歌群は大伴旅人・山上憶良を中心としたものであり、多くは憶良の生・老・病・死という人生苦を詠んだものである。その意味では『文選』に分類する「雑詩」に相当する性質を持ち、それらを中心とした種々の歌の意味と思われる。巻16は由縁(物語)を含む種々の歌の意味と思われるが、ここでも男女・夫婦の人生の苦しみや悲しみの歌が多く載る。その意味では巻1の雑歌とは断層が見られるが、雑歌が神への祈りであるという性格を持つことから考えると、その断層は埋められるように思われる。いずれも人間理解の上に成り立つ歌群であるからである。雑歌とは、それぞれがテーマを持つ歌という理解があり、そのテーマは祈りという統一したテーマへと回帰することにあったからだと思われる。 |
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