テキスト内容 | 堰き止めること。万葉集では多く恋歌に詠まれる。「明日香川堰くと知りせばあまた夜も率寝て来ましを堰くと知りせば」(14-3545)は、明日香川を堰き止めることと親が2人の間を隔てることとを重ねて詠んでいる。また、相手に対する思いが自分では抑えられない様を詠んでいくものに「愛しとわが思ふ心早川の塞きに塞くともなほや崩えなむ」(4-687)がある。この思いは「嘆きせば人知りぬべみ山川の激つ心を塞かへてあるかも」(7-1383)や「言に出でて言はばゆゆしみ山川の激つ心を塞かへたりけり」(11-2432)のように隠すべき時になおさら抑え難い思いだからこそ堰き止めなくてはならないのである。また、明日香皇女の殯宮の時に柿本朝臣人麿が詠んだ「明日香川しがらみ渡し塞かませば流るる水ものどにかあらまし〔一に云ふ、水の淀にかあらまし〕」(2-197)では明日香川に堰をすれば皇女の遠ざかることも緩やかになるに違いないという。以上のように「せく」は水の流れなど物理的なものを止める意をもとにしながらそれ以外のものをも止める意で詠まれていた。紀では黄泉の坂を塞ぐ石について「塞れる盤石、是を泉門塞之大神と謂す。亦は道返大神」(神代巻上第五段一書第六)とあるが、ここには塞神の信仰があるとされる。 |
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