すめろき

大分類万葉神事語辞典
分野分類 CB文学
文化財分類 CB学術データベース
資料形式 CBテキストデータベース
+項目名すめろき;皇祖神
+表記皇祖神
TitleSumeroki
テキスト内容過去あるいは祖先の天皇。現在の天皇をオホキミというのに対して、皇祖以来の歴代諸天皇を指す。「天皇」「皇祖神」「皇神祖」「皇祖」等と表記される。万葉集には「天皇」という表記が12例あり、過去の天皇がスメロキ(5例)、現在の天皇がオホキミ(7例)と訓まれている。訓読に揺れがないわけではないが、「天皇(すめろき)」は「~の神の命」「~の遠の朝廷・遠き御世」などにつながり、「天皇(おほきみ)」の方は「~の御言畏こみ」「~の行幸(いでまし)の随意(まにま)」などにつながるので、ほぼ、過去/現在で区別できるようになっている。ちなみに、オホキミの表記は他に「王」「皇」「大王」「大皇」があり、用例は「大王」がもっとも多い。スメロキの表記をみると「天皇」の他は「祖」という字を含んでおり、祖先の天皇であることが明示されている。「こもりくの 泊瀬小国(はつせをぐに)に よばひせす 我が天皇寸(すめろき)よ」(13-3312)の例から、スメロキがもともと在地の神を指す語であったと見るむきもあるが、この歌は記歌謡の八千矛神の神語を背景にもつ宮廷の滑稽歌であり、雄略天皇などのスメロキが戯画化されていると見る方がよいであろう。スメロキのスメはスメカミのスメと同語で、王権の神聖性を示す語、ロキは、カムロキのロキに同じと考えられる。カムロキはカムロミと対偶で、キ・ミはイザナキ・イザナミの例から男女の別を示す。ロは「~の」を意味する助詞。カムロキ・カムロミは祝詞の神で、たとえば「高天の原に神留ります、皇親神ろき・神ろみの命もちて、八百万の神等を神集へ集へたまひ」(祝詞「大祓」)とあるように、高天の原を主宰する神として登場する。記紀神話におけるアマテラス・タカミムスヒに匹敵する重い存在である。スメロキが、そのような祭式言語と関連するのは頷ける。というより、スメロキという語はカムロキを元にして考案された造語であろう。スメロキ・スメラミコト・スメミマ・スメカミ等、スメを冠する一群の王権語彙はある時期に一括して考案された可能性が高い。ロキがカムロキと同じであれば、カムロミに対応するスメロミもあってよさそうなのに、それがないのは、スメロキという男性名称しか必要なかったからで、このことばが男系家父長的な観念のもとに造語された証拠である。その時期は、記紀の天皇系譜が完成するころであろう。スメロキに含まれる祖先観念は記紀以前の古い大王系譜のそれではなく、男系家父長的な相続が優先されるようになる天武・持統朝の意識に対応すると考えられる。要するに、スメは天皇制の王権思想を集約する語彙だったのである。万葉集ではスメロキの用例が23例あるが、ほとんどは人麻呂をはじめとする宮廷歌人の歌に限られている。この語彙をもっとも好んだのは家持であった。家持は宮廷歌人の伝統を意識して継承した歌人であるが、そういった歌人的な趣味の他に、家持には、8世紀半ばから崩壊の兆しを強める律令天皇体制をなんとかして補修しようとする政治的な動機も強かったであろう。それは天皇に関わると同時に、何よりも大伴氏じしんの危機を反映するものであった。「出金詔書を賀する歌」(18-4094)、「防人の悲別を痛む歌」(20-4331)、「族を喩す歌」(20-4465)等の王権思想に直結するモチーフは、まさにカムロキの語が象徴する意識によって詠まれた。「すめろきの御代万代(みよよろづよ)にかくしこそ見(め)し明きらめめ立つ年の端(は)に」(19-4267)は「詔に応ふるために儲(ま)けて作る歌」(19-4266)の反歌である。この歌は大仏開眼のあった752年(天平勝宝4)の作で、すでに大伴氏の衰退が露わになっていた。家持にとって、スメロキの語は自らの存在を支える最後の理念となっていた。西郷信綱「スメラミコト考」『神話と国家』(平凡社)。西條勉「スメミマと天皇系譜の根源」『古事記と王家の系譜学』(笠間書院)。
+執筆者西條勉
コンテンツ権利区分CC BY-NC
資料ID32066
-68630402009/07/06hoshino.seiji00DSG000456すめろき;皇祖神Sumeroki過去あるいは祖先の天皇。現在の天皇をオホキミというのに対して、皇祖以来の歴代諸天皇を指す。「天皇」「皇祖神」「皇神祖」「皇祖」等と表記される。万葉集には「天皇」という表記が12例あり、過去の天皇がスメロキ(5例)、現在の天皇がオホキミ(7例)と訓まれている。訓読に揺れがないわけではないが、「天皇(すめろき)」は「~の神の命」「~の遠の朝廷・遠き御世」などにつながり、「天皇(おほきみ)」の方は「~の御言畏こみ」「~の行幸(いでまし)の随意(まにま)」などにつながるので、ほぼ、過去/現在で区別できるようになっている。ちなみに、オホキミの表記は他に「王」「皇」「大王」「大皇」があり、用例は「大王」がもっとも多い。スメロキの表記をみると「天皇」の他は「祖」という字を含んでおり、祖先の天皇であることが明示されている。「こもりくの 泊瀬小国(はつせをぐに)に よばひせす 我が天皇寸(すめろき)よ」(13-3312)の例から、スメロキがもともと在地の神を指す語であったと見るむきもあるが、この歌は記歌謡の八千矛神の神語を背景にもつ宮廷の滑稽歌であり、雄略天皇などのスメロキが戯画化されていると見る方がよいであろう。スメロキのスメはスメカミのスメと同語で、王権の神聖性を示す語、ロキは、カムロキのロキに同じと考えられる。カムロキはカムロミと対偶で、キ・ミはイザナキ・イザナミの例から男女の別を示す。ロは「~の」を意味する助詞。カムロキ・カムロミは祝詞の神で、たとえば「高天の原に神留ります、皇親神ろき・神ろみの命もちて、八百万の神等を神集へ集へたまひ」(祝詞「大祓」)とあるように、高天の原を主宰する神として登場する。記紀神話におけるアマテラス・タカミムスヒに匹敵する重い存在である。スメロキが、そのような祭式言語と関連するのは頷ける。というより、スメロキという語はカムロキを元にして考案された造語であろう。スメロキ・スメラミコト・スメミマ・スメカミ等、スメを冠する一群の王権語彙はある時期に一括して考案された可能性が高い。ロキがカムロキと同じであれば、カムロミに対応するスメロミもあってよさそうなのに、それがないのは、スメロキという男性名称しか必要なかったからで、このことばが男系家父長的な観念のもとに造語された証拠である。その時期は、記紀の天皇系譜が完成するころであろう。スメロキに含まれる祖先観念は記紀以前の古い大王系譜のそれではなく、男系家父長的な相続が優先されるようになる天武・持統朝の意識に対応すると考えられる。要するに、スメは天皇制の王権思想を集約する語彙だったのである。万葉集ではスメロキの用例が23例あるが、ほとんどは人麻呂をはじめとする宮廷歌人の歌に限られている。この語彙をもっとも好んだのは家持であった。家持は宮廷歌人の伝統を意識して継承した歌人であるが、そういった歌人的な趣味の他に、家持には、8世紀半ばから崩壊の兆しを強める律令天皇体制をなんとかして補修しようとする政治的な動機も強かったであろう。それは天皇に関わると同時に、何よりも大伴氏じしんの危機を反映するものであった。「出金詔書を賀する歌」(18-4094)、「防人の悲別を痛む歌」(20-4331)、「族を喩す歌」(20-4465)等の王権思想に直結するモチーフは、まさにカムロキの語が象徴する意識によって詠まれた。「すめろきの御代万代(みよよろづよ)にかくしこそ見(め)し明きらめめ立つ年の端(は)に」(19-4267)は「詔に応ふるために儲(ま)けて作る歌」(19-4266)の反歌である。この歌は大仏開眼のあった752年(天平勝宝4)の作で、すでに大伴氏の衰退が露わになっていた。家持にとって、スメロキの語は自らの存在を支える最後の理念となっていた。西郷信綱「スメラミコト考」『神話と国家』(平凡社)。西條勉「スメミマと天皇系譜の根源」『古事記と王家の系譜学』(笠間書院)。457すめろき皇祖神西條勉す1

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