すめかみ

大分類万葉神事語辞典
分野分類 CB文学
文化財分類 CB学術データベース
資料形式 CBテキストデータベース
+項目名すめかみ;皇神
+表記皇神
TitleSumekami
テキスト内容国土を守護する神霊。「志賀のすめ神」(7-123)、「石田の杜の すめ神に」(13-3236)、「すめ神の 領(し)きいます 新川の」(17-4000)等、山川や地名・国名に連ねて用いられる。スメはスメラミコト・スメロキ・スメミマ等のスメ(sume)と同じであるが、語義は定かでない。これを統(す)ベ(sube)の転化とみる鈴木重胤説は上代特殊仮名遣から、成り立たない。スム(澄)に同語とみる西郷信綱の説(「スメラミコト考」)は、マスミノカガミ(白銅鏡)やヤスミシシ(八隅知之)といった王権に関わる語彙との関連がつくので、一説として興味深い。しかし、スミカミ・スムカミの転訛、もしくはスメルカミの約音とみるほかないので、語法的には難しい。万葉集では憶良・家持およびその周辺で7例みられるだけであるが、もともと、この語は祝詞のことばであった。祈年祭祝詞では、「神魂(かむむすひ)」「高御魂(たかみむすひ)」等の神祇官八神をはじめとして「生(い)く井」「あすは」「くし磐間門(いはまと)の命」等の宮城守護神、「生く島」「足る島」等の国土豊饒神、それに大和六県の神や山口、水分の神々まで、すべてが「皇神(すめかみ)」と称されている。「天つ社・国つ社と称辞定めまつる皇神等」(中臣寿詞)とあるように、「皇神」は天つ神・国つ神のいわば総称であった。伊勢神宮関係の祝詞をみると、豊受の神は「皇神(すめかみ)」、天照大神は「皇大神(すめおほかみ)」「皇大御神(すめおほみかみ)」と書き分けられている。この語は、『延喜式』祝詞の中で古い成立とされる大殿祭・御門祭の祝詞にはみられず、祈年祭祝詞等で「皇神」と呼ばれるべき神が単に「神」とされている。このようなことから「皇神」という言い方は、天つ神・国つ神の区別なしに、王権を守護し国土の豊饒を予祝する神霊を敬って「神」に「皇」を冠して使われるようになったものであろう。天照大神が王権守護の筆頭であることは言うまでもない。スメカミは民間で使用されていた伝統的なことばではなく、ある時期に、宮廷で造作された祭式言語であったと考えられる。万葉集のスメカミも、山川や土地を冠した用例がみられることは確かであるが、憶良や家持らが祝詞的な語彙を持ち込んだものであろう。元明天皇の歌に応えた御名部皇女の「吾が大君 ものな思ほし すめ神の へて賜へる 我なけなくに」(1-77)の「すめ神」を、伊藤博は「ここは『すめろき』に同じく、皇祖神をいう」(『釈注』)と述べるが、王権を守護するスメカミの威力を頼んだと解釈してぴったりする歌である。スメの語義ははっきりしないが、カミを王権守護の面から讃美したことばであることは間違いないであろう。スメラミコト・スメロキ・スメミマ等、スメはすべて王権の神聖性を示しており、輝かしいイメージをもたらす語であった。遣唐使の無事を祈願した憶良の「そらみつ 大和の国は 皇神の 厳(いつ)くしき国」(5-894)は「言霊の 幸(さき)はふ国」と対句にされ、大和=日本のシンボルとして高揚されている。スメは「皇」で書かれるが、漢字の「皇」はもともと光り輝くさまをあらわし、隔絶した偉大さや広大さを示して帝王を象徴する記号となった。スメも、それに倣ってあみだされた造語であろう。日本において王権のシンボルである鏡がマスミノカガミと呼ばれるのは、清浄さに神聖を覚える感性があったことを示すので、スメをスム(澄)に関連づける西郷説は魅力的である。スムは水についていうが、清浄な状態であるから、透き通るような光彩を放つ。家持が二上山の賦(17-3985)と立山の賦(17-4000)にスメカミの語を用いたのは、越中の山岳を王権によって領有されるものとして讃美する意識からであろう。しかし、この語が放つ光彩感が、家持流の美意識によって詩的に捉えられている側面もあるかと思われる。鈴木重胤『祝詞講義』(日本図書センター)。西郷信綱「スメラミコト考」『神話と国家』(平凡社)。
+執筆者西條勉
コンテンツ権利区分CC BY-NC
資料ID32063
-68627402009/07/06hoshino.seiji00DSG000453すめかみ;皇神Sumekami国土を守護する神霊。「志賀のすめ神」(7-123)、「石田の杜の すめ神に」(13-3236)、「すめ神の 領(し)きいます 新川の」(17-4000)等、山川や地名・国名に連ねて用いられる。スメはスメラミコト・スメロキ・スメミマ等のスメ(sume)と同じであるが、語義は定かでない。これを統(す)ベ(sube)の転化とみる鈴木重胤説は上代特殊仮名遣から、成り立たない。スム(澄)に同語とみる西郷信綱の説(「スメラミコト考」)は、マスミノカガミ(白銅鏡)やヤスミシシ(八隅知之)といった王権に関わる語彙との関連がつくので、一説として興味深い。しかし、スミカミ・スムカミの転訛、もしくはスメルカミの約音とみるほかないので、語法的には難しい。万葉集では憶良・家持およびその周辺で7例みられるだけであるが、もともと、この語は祝詞のことばであった。祈年祭祝詞では、「神魂(かむむすひ)」「高御魂(たかみむすひ)」等の神祇官八神をはじめとして「生(い)く井」「あすは」「くし磐間門(いはまと)の命」等の宮城守護神、「生く島」「足る島」等の国土豊饒神、それに大和六県の神や山口、水分の神々まで、すべてが「皇神(すめかみ)」と称されている。「天つ社・国つ社と称辞定めまつる皇神等」(中臣寿詞)とあるように、「皇神」は天つ神・国つ神のいわば総称であった。伊勢神宮関係の祝詞をみると、豊受の神は「皇神(すめかみ)」、天照大神は「皇大神(すめおほかみ)」「皇大御神(すめおほみかみ)」と書き分けられている。この語は、『延喜式』祝詞の中で古い成立とされる大殿祭・御門祭の祝詞にはみられず、祈年祭祝詞等で「皇神」と呼ばれるべき神が単に「神」とされている。このようなことから「皇神」という言い方は、天つ神・国つ神の区別なしに、王権を守護し国土の豊饒を予祝する神霊を敬って「神」に「皇」を冠して使われるようになったものであろう。天照大神が王権守護の筆頭であることは言うまでもない。スメカミは民間で使用されていた伝統的なことばではなく、ある時期に、宮廷で造作された祭式言語であったと考えられる。万葉集のスメカミも、山川や土地を冠した用例がみられることは確かであるが、憶良や家持らが祝詞的な語彙を持ち込んだものであろう。元明天皇の歌に応えた御名部皇女の「吾が大君 ものな思ほし すめ神の へて賜へる 我なけなくに」(1-77)の「すめ神」を、伊藤博は「ここは『すめろき』に同じく、皇祖神をいう」(『釈注』)と述べるが、王権を守護するスメカミの威力を頼んだと解釈してぴったりする歌である。スメの語義ははっきりしないが、カミを王権守護の面から讃美したことばであることは間違いないであろう。スメラミコト・スメロキ・スメミマ等、スメはすべて王権の神聖性を示しており、輝かしいイメージをもたらす語であった。遣唐使の無事を祈願した憶良の「そらみつ 大和の国は 皇神の 厳(いつ)くしき国」(5-894)は「言霊の 幸(さき)はふ国」と対句にされ、大和=日本のシンボルとして高揚されている。スメは「皇」で書かれるが、漢字の「皇」はもともと光り輝くさまをあらわし、隔絶した偉大さや広大さを示して帝王を象徴する記号となった。スメも、それに倣ってあみだされた造語であろう。日本において王権のシンボルである鏡がマスミノカガミと呼ばれるのは、清浄さに神聖を覚える感性があったことを示すので、スメをスム(澄)に関連づける西郷説は魅力的である。スムは水についていうが、清浄な状態であるから、透き通るような光彩を放つ。家持が二上山の賦(17-3985)と立山の賦(17-4000)にスメカミの語を用いたのは、越中の山岳を王権によって領有されるものとして讃美する意識からであろう。しかし、この語が放つ光彩感が、家持流の美意識によって詩的に捉えられている側面もあるかと思われる。鈴木重胤『祝詞講義』(日本図書センター)。西郷信綱「スメラミコト考」『神話と国家』(平凡社)。
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