じんのう

大分類万葉神事語辞典
分野分類 CB文学
文化財分類 CB学術データベース
資料形式 CBテキストデータベース
+項目名じんのう;神農
+表記神農
TitleJinno
テキスト内容『史記』によれば、伏羲・女媧に次いで帝位についた中国古代伝説上の皇帝で、民に耕作を教えたゆえに神農と呼ばれた。また、伏羲・女媧が木徳の王であるのに対し、火徳の王であるため炎帝ともいう。人身牛首。市を開いて交易を行ったこと、百草を嘗めて初めて医薬を発見したことから、後に商業の神とも医薬の神とも仰がれた。また、その故事から最古の本草書(薬学書)『神農本草経』は神農の名が冠された。それらを受けて、沈痾自哀文では、『抱朴子』の言葉として「神農云はく、『百病癒えず』、いかにしてか長生すること得む」を引く。これは前の箇所で、神仙の道士・方士も自ら仙薬の書物「丹経」を背負って山に入り薬を調合するのは、体を整え精神を安らかにして長寿を求めるためであると述べたことを受けて、長寿を遂げんためには病を治さなくてはならないのだということを、神農の言葉で裏付けるためであろう。
+執筆者荒木優也
コンテンツ権利区分CC BY-NC
資料ID32055
-68619402009/07/06hoshino.seiji00DSG000445じんのう;神農Jinno『史記』によれば、伏羲・女媧に次いで帝位についた中国古代伝説上の皇帝で、民に耕作を教えたゆえに神農と呼ばれた。また、伏羲・女媧が木徳の王であるのに対し、火徳の王であるため炎帝ともいう。人身牛首。市を開いて交易を行ったこと、百草を嘗めて初めて医薬を発見したことから、後に商業の神とも医薬の神とも仰がれた。また、その故事から最古の本草書(薬学書)『神農本草経』は神農の名が冠された。それらを受けて、沈痾自哀文では、『抱朴子』の言葉として「神農云はく、『百病癒えず』、いかにしてか長生すること得む」を引く。これは前の箇所で、神仙の道士・方士も自ら仙薬の書物「丹経」を背負って山に入り薬を調合するのは、体を整え精神を安らかにして長寿を求めるためであると述べたことを受けて、長寿を遂げんためには病を治さなくてはならないのだということを、神農の言葉で裏付けるためであろう。,446じんのう神農荒木優也じ1

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