テキスト内容 | ①認識する、理解する。②支配する、領有する。②の意味の場合、柿本人麻呂の近江荒都歌(1-29)の「つがの木の いや継ぎ継ぎに 天の下 知らしめししを」のように、シラス、シラシメス、シロシメスといった尊敬語の形で表れることが多い。「知る」の形で②の意味となる例としては、記の歌謡(73)「汝が御子やつひに知らむと雁は卵産むらし」が見られる。渡り鳥の雁が日本で卵を産んだという珍しい出来事を、建内宿禰が仁徳の治世を寿ぐ瑞祥として歌った例である。「知る」が支配する意味となる背後には、現代のような情報化社会とは異なり、古代においては支配者のみが支配地の隅々にいたるまで、様々な情報を手に入れることができるという論理が隠れている。713(和銅6)年の風土記撰進の官命で、朝廷が諸国の風物、土地の沃瘠、地名の由来、地域伝承など、あらゆる地域情報を報告させようとしたのは、その典型的な例である。その論理は、動詞「聞く」がキコシメス、キコシオスといった尊敬語の形で支配する意味となることにも通じている。支配者は奏上を「聞く」ことによって天下を「知る」のであり、それが天下の支配の象徴と見られていたのである。その意味では、国見において支配者が支配地を「見る」ことが支配の象徴であったことにも類似の論理を見出すことができるだろう。①の理解する、認識すると言う意味の「知る」が典型的に現れるのは、大伴旅人の「凶問に報ふる歌」の「世の中は空しきものと知る時し」(5-793)や、「寧楽の京の荒墟を傷み惜しみて作る歌」の「世の中を常なきものと今そ知る奈良の都のうつろふ見れば」(6-1045)であろう。前者は大伴旅人が大宰府滞在時に、都からの訃報が相次ぎ、世の無常なることを痛切に感じたことを言い、後者は都が久邇京に移された後、奈良の都が荒廃してゆく様を目の当たりにして、世の無常を痛感する例である。いずれも、事柄を知識として「知る」ことを意味するのではなく、知識としては知っていたことを、何らかのきっかけで身を以て思い知ることを意味している。「知る」こと、「見る」こと、「聞く」ことが、支配を意味することの根底には、「知る」、「見る」、「聞く」などが、現代のような表層的な意味ではなく、事柄を身を以て認識し、体内に取りこむという古代特有の意味合いを持っていたことと関係するものと思われる。 |
---|