じょうし

大分類万葉神事語辞典
分野分類 CB文学
文化財分類 CB学術データベース
資料形式 CBテキストデータベース
+項目名じょうし;じやうし;上巳
+項目名(旧かな)じやうし
+表記上巳
TitleJoshi
テキスト内容万葉集には17-3972と17-3973間に位置する大伴池主作の「七言晩春遊覧一首」の序文と七言律詩の中に、「上巳」の語が各1回(計2例)見られる。大伴家持からの3月3日の長歌作品(17-3969~3973)を受けて、大伴池主が3月3日を期して作った漢詩作品である。本来の「上巳」は旧暦の最初の巳の日をいうが、「魏(ぎ)より以後、但(た)だ三日を用い、巳(み)を以(も)ってせず」(『宋書』巻15、礼志二)とあり、『荊楚歳時記(けいそさいじき)』でも3月3日と定位されている。万葉集のこの年は747年(天平19)であり、3月3日は寅(とら)の日、4日は卯(う)の日で、本来の上巳は6日となり、池主が用いた上巳も3月3日の意味で使用されている。この七言律詩の題は「七言晩春遊覧一首」が原本の姿である。西本願寺本等多くの写本には「三日」の文字があり「七言晩春三日遊覧一首」とされるが、元暦校本萬葉集には「三日」の文字が無く、廣瀬本萬葉集では「三日」を抹消して右に「本無」とある。この3月3日節(上巳)は、「四民(しみん)並(なら)びに江渚池沼の間に出(い)で、清流に臨(のぞ)んで流杯曲水(りゅうはいごくすい)の飲(うたげ)を為(な)す」(『荊楚歳時記』)というものであり、「桃花の水(かは)の下(もと)」(同、注文)ともされる。大伴池主の漢詩作品は、そうした文脈で作成され、「桃花瞼(まなぶた)を昭(てら)らして紅を分かち」「手を携(たづさ)へて江河の畔(ほとり)を曠(はる)かに望み」(以上、序)、「桃源は海に通ひて仙舟を泛(うか)ぶ」(詩)などと描かれている。紀の巻15には「三月上巳、幸後苑曲水宴」(顕宗元年)などと出るが、これは編纂時の筆と見るのがよく、持統5(691)年の宴の記事をこの初例と考えてよい。『続日本紀』の728(神亀5)年3月3日の「曲水之詩」の事例は「上巳」の確実な初例となる。養老の「雑令」(40)には、3月3日を節日とすると規定されている。
+執筆者廣岡義隆
+参考文献
-68605402009/07/06hoshino.seiji00DSG000431じょうし;じやうし;上巳Joshi万葉集には17-3972と17-3973間に位置する大伴池主作の「七言晩春遊覧一首」の序文と七言律詩の中に、「上巳」の語が各1回(計2例)見られる。大伴家持からの3月3日の長歌作品(17-3969~3973)を受けて、大伴池主が3月3日を期して作った漢詩作品である。本来の「上巳」は旧暦の最初の巳の日をいうが、「魏(ぎ)より以後、但(た)だ三日を用い、巳(み)を以(も)ってせず」(『宋書』巻15、礼志二)とあり、『荊楚歳時記(けいそさいじき)』でも3月3日と定位されている。万葉集のこの年は747年(天平19)であり、3月3日は寅(とら)の日、4日は卯(う)の日で、本来の上巳は6日となり、池主が用いた上巳も3月3日の意味で使用されている。この七言律詩の題は「七言晩春遊覧一首」が原本の姿である。西本願寺本等多くの写本には「三日」の文字があり「七言晩春三日遊覧一首」とされるが、元暦校本萬葉集には「三日」の文字が無く、廣瀬本萬葉集では「三日」を抹消して右に「本無」とある。この3月3日節(上巳)は、「四民(しみん)並(なら)びに江渚池沼の間に出(い)で、清流に臨(のぞ)んで流杯曲水(りゅうはいごくすい)の飲(うたげ)を為(な)す」(『荊楚歳時記』)というものであり、「桃花の水(かは)の下(もと)」(同、注文)ともされる。大伴池主の漢詩作品は、そうした文脈で作成され、「桃花瞼(まなぶた)を昭(てら)らして紅を分かち」「手を携(たづさ)へて江河の畔(ほとり)を曠(はる)かに望み」(以上、序)、「桃源は海に通ひて仙舟を泛(うか)ぶ」(詩)などと描かれている。紀の巻15には「三月上巳、幸後苑曲水宴」(顕宗元年)などと出るが、これは編纂時の筆と見るのがよく、持統5(691)年の宴の記事をこの初例と考えてよい。『続日本紀』の728(神亀5)年3月3日の「曲水之詩」の事例は「上巳」の確実な初例となる。養老の「雑令」(40)には、3月3日を節日とすると規定されている。432じょうしじやうし上巳廣岡義隆じ1

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