しゅうどう

大分類万葉神事語辞典
分野分類 CB文学
文化財分類 CB学術データベース
資料形式 CBテキストデータベース
+項目名しゅうどう;しゆたう;修道
+項目名(旧かな)しゆたう
+表記修道
TitleShudo
テキスト内容仏語。家持作歌の20-4468の題詞に「病に臥して無常を悲しび、道を修めむ(修道)と欲ひて作る歌二首」とある。ここでは出家して仏道修行することを指すとされる。「或唱誦経文、修道禅行」(『続日本紀』養老2年10月)「一は処俗弘教、二は出家修道」(慮山慧遠法師「答桓玄沙門不応敬王者書」・弘明集12)のように、修道は聖者の通る道「三道」の一つである。三道には修道の前後に見道と無学道がある。見道のあとで、根本的な煩悩を断ち終わり、更に残る具体的な事物にたいする煩悩を断つために何度も繰り返して修学することをいう。この修道で断たれるべき煩悩を修惑(しゅわく)、思惑(しわく)、思惟断(しゆいだん)という。釈迦が行った最初の説法に説かれた仏教の根本説教である「四諦(したい)」を観察することを繰り返していく段階のことである。また数々修習する道の意である。また、『大毘婆娑論』第51に「修道は是れ不猛利の道なり、数数修習して久時に方に九品の煩悩を断す」とある。この、仏教的な修行の要素を家持は歌に取り込み、無常観と結びつけて歌を詠んだ。
+執筆者渡辺卓
-68604402009/07/06hoshino.seiji00DSG000430しゅうどう;しゆたう;修道Shudo仏語。家持作歌の20-4468の題詞に「病に臥して無常を悲しび、道を修めむ(修道)と欲ひて作る歌二首」とある。ここでは出家して仏道修行することを指すとされる。「或唱誦経文、修道禅行」(『続日本紀』養老2年10月)「一は処俗弘教、二は出家修道」(慮山慧遠法師「答桓玄沙門不応敬王者書」・弘明集12)のように、修道は聖者の通る道「三道」の一つである。三道には修道の前後に見道と無学道がある。見道のあとで、根本的な煩悩を断ち終わり、更に残る具体的な事物にたいする煩悩を断つために何度も繰り返して修学することをいう。この修道で断たれるべき煩悩を修惑(しゅわく)、思惑(しわく)、思惟断(しゆいだん)という。釈迦が行った最初の説法に説かれた仏教の根本説教である「四諦(したい)」を観察することを繰り返していく段階のことである。また数々修習する道の意である。また、『大毘婆娑論』第51に「修道は是れ不猛利の道なり、数数修習して久時に方に九品の煩悩を断す」とある。この、仏教的な修行の要素を家持は歌に取り込み、無常観と結びつけて歌を詠んだ。431しゅうどうしゆたう修道渡辺卓し1
資料ID32040

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