テキスト内容 | 「生く」の対となる語。ただし、彼岸と此岸とを繋げる意識、つまりは生と死を連続するものとして捉えていた形跡が見られることから、必ずしも乖離したものとしては捉えられていなかったようである。記では死の起源として、黄泉比良坂で千引の石を隔てた伊邪那美命と伊邪那岐命との誓約が描かれる。「伊邪那美命言ひしく、『愛しき我が那勢の命、如此為ば、汝の国の人草、一日に千頭絞り殺さむ。』といひき」と誓ったことから、人の死が始まったという。一方、仏教では人間の根本的な苦しみ「八大辛苦」(5-804「世間の住り難きを哀しびたる歌一首併せて序」)の一つに数えられる。「八代辛苦」(四苦八苦)とは、生・老・病・死の四苦に、愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五陰盛苦を加えたものであり、山上憶良は老・病・死を作品の主題として多く取り上げる。このように死とは人にとり一大関心事であるが、歌の中で最も死と密接である筈の挽歌・哀傷歌には殆ど用いられない。これは死に対する禁忌からと考えられ、代わりに「かくる」「まかる」「さる」「きゆ」などの表現が採られる。かえって、歌で「死ぬ」が多く用いられるのは恋歌であり、恋の苦しさを表現するために用いる。自己を対象にして「恋ひ死なば」「恋するに死にする」「死なましものを」などと、己の恋情の激しさを効果的に訴えるため詠み込まれている。 |
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