テキスト内容 | 上代では「したびも」。下着の紐。表面からは見えない下裳(したも)や下袴(したばかま)などに付けてある紐。万葉集中で「紐」とのみ詠まれていても、「下紐」の場合が多く、下紐かただの紐かの区別が困難な歌もある。「二人して結びし紐をひとりして我は解き見じ直に逢ふまでは」(12-2919)のように男女が別れるときに互いにこれを結び合う習慣があった。また旅立ちに際し、旅先での無事を願う一種の呪的行為としても紐を結ぶ場合がある。恋人同士で特殊な結び方をして、そこに魂を祝い込めた。「人の見る上は結びて人の見ぬ下紐開けて恋ふる日そ多き」(12-2851)は、表の紐は普通の腰紐であり、裏紐が下紐である。相手と会えないときに、下紐を解いて恋慕うのだという。下紐を詠うことは、エロチックな要素を詠むこととなる。紐は「愛しと思へりけらしな忘れと結びし紐の解くらく思へば」(11-2558)と忘れないで欲しいという思いを込めて結ぶのであり、解ける行為は恋情の表れとなったのである。「我妹子し我を偲ふらし草枕旅の丸寝に下紐解けぬ」(12-3145)のように、恋人に強く思われると、紐が解けるという俗信もあった。ひとりでにこれが解けるのは、思う人に会う前兆、または人に恋い慕われている証拠だと信じられていた。そのため「高麗錦 紐解き開けて 夕だに 知らざる命 恋ひつつかあらむ」(11-2406)のように、恋人に会えるように自ら紐を解く場合もあった。紐が解けるということは、男女の出会いの表現となる。「忘れ草我が下紐に着けたれど醜の醜草言にしありけり」(4-727)や「愛しと思ひし思はば下紐に結い付け持ちて止まず偲はせ」(15-3766)のように、下紐にものを付けることにより相手との関係を強調させている。また「下紐の」は枕詞。同音でシタユコフ(下ゆ恋ふ)に接続する。「物思ふと人には見えじ下紐の下ゆ恋ふるに月そ経にける」(15-3708)。 |
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