テキスト内容 | ①倭国の異称。②「しきしまの」として、やまと(大和・倭)に掛かる枕詞。7例中6例が②の用法である。「しきしま」は地名で、現在の奈良県桜井市金屋付近。欽明天皇の宮地として記に師木島大宮(しきしまのおおみや)、紀に磯城郡磯城島の磯城島金宮(しきしまのかなみや)とある地をいう。紀には欽明天皇を「磯城島天皇」「磯城島宮御宇天皇」と記したりする。この欽明天皇の宮地から、磯城島の宮のある大和国に冠し、欽明以後の大和政権の強大化に伴い国名の「大和」の枕詞となったと解される。笠金村の歌と伝える729(天平元)年12月の歌の「磯城島の 大和の国の 石上(いそのかみ) 布留の里に」(9-1787)は、大地域「大和の国」から「次に中地名の『石上』、小地名の『不留』と続く」(『全注』)。この場合、「大和の国」は大和一国すなわち奈良県をさすといえるが、欽明天皇の宮のあった奈良県桜井市金屋付近を指すも考えられる。万葉集中の「大和」にかかる「しきしまの」の6例のうち4例が巻13にある。この4例は大和一国を示すと考えられるが、編纂者はそう位置づけていないようである。3248と3249の「磯城島の 大和の国」は金屋付近のことと考えられるが、3250に「あきづ島 大和の国」と始まる歌があり、巻13は各部立ごとに大地域歌群から小地域歌群へという配置をとることから考えると、編者は3248と3249の「磯城島の 大和の国」を日本の国号と位置づけて相聞部の冒頭においたと考えられるからである。同じく相聞部・柿本人麻呂歌集の長反歌(3253~3254)のうちの反歌に「磯城島の 大和の国」とあるが、長歌に日本の国号を示す「葦原の 水穂の国」とあることから、反歌の「磯城島の 大和の国」も日本の国号を示していると考えられる。大伴家持の「族を喩す歌」の反歌(20-4466)の「磯城島の 大和の国」は日本国の呼称として用いられている。①の例である19-4280の「磯城島の 人は我じく」の「磯城島の」は、「磯城島の 大和」とあるところだが、「大和」が省かれ「磯城島」のみで日本国の呼称として用いられている。風土記には「志貴嶋の宮」(豊後国)と、欽明天皇の宮地をあらわすのに用いられている。また「嶋の宮」(播磨国、出雲国)とあるのは「志貴嶋」のことである。「しきしまの」が枕詞として用いられるのは万葉集のみで、歌語として特徴的である。鈴木武晴「枕詞『しきしまの』考」『岡大国文論稿』10号。 |
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