さほ

大分類万葉神事語辞典
分野分類 CB文学
文化財分類 CB学術データベース
資料形式 CBテキストデータベース
+項目名さほ;佐保
+項目名(旧かな)
+表記佐保
TitleSaho
テキスト内容奈良県北部佐保川の北岸。法連町・法華寺町の一帯を指す。「佐保(の)山」(3-473他)や「佐保(の)川」(4-525)を詠むものが多い。紀には夫の鮪が奈良山で殺されるのを追った影媛の歌に「石上 布留を過ぎて 薦枕 高橋過ぎ 物多(ものさは)に 玉笥(たまけ)には 飯さへ盛り 玉盌(たまもひ)に 水さへ盛り」とあり、佐保が奈良山への通過点であったことが確認される。万葉集では、「佐保過ぎて奈良の手向けに置く幣は妹を目離れず相見しめとそ」(3-300)と詠われるように手向けの行われる堺の地であった。また大伴氏をはじめとする貴族の邸宅や長屋王の別邸「佐保の宅」(8-1638)もここにあった。一方、佐保山には元明天皇、聖武天皇らの陵墓が造られたことから、佐保一帯は宮都周縁における葬地でもあったといえる。
+執筆者城﨑陽子
+参考文献
-68576402009/07/06hoshino.seiji00DSG000402さほ;佐保Saho奈良県北部佐保川の北岸。法連町・法華寺町の一帯を指す。「佐保(の)山」(3-473他)や「佐保(の)川」(4-525)を詠むものが多い。紀には夫の鮪が奈良山で殺されるのを追った影媛の歌に「石上 布留を過ぎて 薦枕 高橋過ぎ 物多(ものさは)に 玉笥(たまけ)には 飯さへ盛り 玉盌(たまもひ)に 水さへ盛り」とあり、佐保が奈良山への通過点であったことが確認される。万葉集では、「佐保過ぎて奈良の手向けに置く幣は妹を目離れず相見しめとそ」(3-300)と詠われるように手向けの行われる堺の地であった。また大伴氏をはじめとする貴族の邸宅や長屋王の別邸「佐保の宅」(8-1638)もここにあった。一方、佐保山には元明天皇、聖武天皇らの陵墓が造られたことから、佐保一帯は宮都周縁における葬地でもあったといえる。,403さほ佐保城﨑陽子さ1

PageTop