テキスト内容 | 陰暦五月の称。季節は夏。万葉集中ではホトトギスや橘などと一緒に詠まれることが多い。例えば「五月の花橘を君がため珠にこそ貫け」(8-1502)と詠まれている。これは当時の、5月5日の節句に長命を祈って薬玉を飾る習慣のことであり、中国の長命縷の儀式を真似したものという。薬玉は麝香や沈香などの香薬を錦の袋に入れ、菖蒲・蓬・橘の実などで飾って五色の糸を垂らしたものである。また5月は、「八重畳 平群の山に 四月と 五月の間に 薬猟 仕ふる時に」(16-3885)とあるように、薬猟が行われる季節でもあった。薬猟とは、5月5日に山野にでて、薬用に鹿の若い角などを採ったり、薬草を摘む宮廷行事である。(1-21)の左注にも「縦猟」と見られ、この記載は、天智天皇条7年5月5日の記事として、紀においても確認できる。さらに推古天皇条にも、19年、20年、22年のそれぞれ5月5日に「薬猟」が行われたとの記述が見られる。以上のように、「さつき」は節句の行事が行われる月、としての意識が非常に強かったことがうかがえる。しかし同時に、「さつき」は風流の対象としてのホトトギスの鳴く季節として意識されていた。例えば、「霍公鳥いたくな鳴きそ汝が声を五月の玉にあへ貫くまでに」(8-1465)という、白鳳期の歌がある。「さつき」の語が使用されているが、ホトトギスにその関心の中心がある。ホトトギスの声を薬玉に貫くという発想は奈良期に入って多く見られるようになる。また、大伴家持に「ほととぎす鳴かむ五月は」(17-3997)、「ほととぎす来鳴く五月」(18-4101)などの歌が見られ、家持周辺にも同様の歌が多いことは従来から指摘されている。家持周辺の風流のあり方の一つとして見ることができよう。 |
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