さだのおか
大分類 | 万葉神事語辞典 |
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分野分類 CB | 文学 |
文化財分類 CB | 学術データベース |
資料形式 CB | テキストデータベース |
+項目名 | さだのおか;さだのをか;佐田の岡 |
+項目名(旧かな) | さだのをか |
+表記 | 佐田の岡 |
Title | Sadanooka |
テキスト内容 | 奈良県高市郡高取町佐田の岡宮天皇(草壁皇子)陵のある丘陵地帯を指す。1984(昭和59)年に、束明神古墳が発掘されたことによって、被葬者をめぐって説が揺れている。万葉集では「皇子尊の宮の舎人(とねり)等が慟傷(どうしょう)して作る歌」に「朝日照る佐田の岡辺」(2-177、192)と詠まれ、舎人らは葬られた皇子を偲んで「佐田の岡辺に待宿(とのい)しに行く」(2-179)ことを詠うが、この岡は「つれもなき佐田の岡辺」(2-187)とも「つれもなき真弓の岡」(2-167)とも表現されている。「つれもなき」とは「いかさまに 思ひけめかも つれもなき 城上の宮に」(13-3326)、「いかさまに 思ひけめかも つれもなき 佐保の山辺に」(3-460)、「家人の待つらむものをつれもなき荒磯をまきて伏せる君かも」(13-3341)といった人の死に関わる歌の例が示すように、生前、縁もゆかりもなかった地で亡くなったり、埋葬されたりすることを示す語であった。草壁皇子にとって、佐田の岡は思いもかけない地であり、こうした埋葬地は生前の居所とは異なる宮都の周縁部に置かれたのである。 |
+執筆者 | 城﨑陽子 |
コンテンツ権利区分 | CC BY-NC |
資料ID | 32002 |
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