テキスト内容 | 月の異名。直訳すると「細身のいい男」。月を男性に喩えてこう呼ぶ。「ささら」は帯の文様の細かいさま(允恭紀8年2月歌謡)や、萩の細いもの(14-3446)を表すのに用いられる語で、細く小さい意を表す。そのため、「ささらえをとこ」は、月の中でも特に「上弦の月をいったのであろう」とする説がある(『新全集』)。「えをとこ」とは、国生みを前にイザナミがイザナキに呼びかけた「あなにやし、えをとこを」(神代記)にあるように、「愛すべき」の意を添える接頭語「え」を付した、男性への讃辞である。「ささらえをとこ」を詠んだ歌は、万葉集に1首のみ。大伴坂上郎女の「山の端のささらえをとこ天の原門渡る光見らくし良しも」(6-983)である。この歌には、月の別名をささらえ男といいその言葉をもとにこの歌を作ったのだともいわれる、との注記がある。この注記によれば、月を「ささらえをとこ」と呼ぶことが一般にあったということになるが、この他に例がなく、大伴坂上郎女による造語である可能性も残る。同じく月を若い男性に喩えたものに、「月読壮士(つくよみをとこ)」や「月人壮士(つきひとをとこ)」がある。大伴坂上郎女の歌の2首後には、月を「月読壮士(つくよみをとこ)」と詠んだ湯原王の歌があり、天に坐す月読壮士に向けて、今夜の長さを五百夜分繋いでほしい、と詠っている(6-985)。天にあって夜の長さを司る存在としての月読壮士は、その名からも、夜の食国を治める神である「月読命」(「月夜見尊」「月神」とも)との関わりをうかがわせるが、「ささらえをとこ」には、そうした発想は認められず、月を男に喩えたものであっても、両者の詠み方は大きく異なっている。 |
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