テキスト内容 | 記歌謡(42)に「和邇坂(和邇佐)」とあるように、古くは同義の「さ」が存在した。これと場所の意の「か」との複合語が「さか」であると考えられる。万葉集では、「東の坂」「碓氷の坂」「足柄の坂」「逢坂」「大坂」「五幡の坂」などのように地名と関係する用例が多く、「坂(佐可)越えて阿倍の田のもに居るたづのともしき君は明日さへもがも」(14-3523)のように坂は峠をさすことが多い。坂はある地域と他の地域の境界であり、これを越えると異郷と考えられた。そのため「恐きや神のみ坂に」(9-1800)「足柄のみ坂恐み」(14-3371) のように「坂」には接頭語の「ミ」がつくこともあった。そこには境を守る神がいて交通の妨げをなすとされ、「ちはやふる神のみ坂に幣奉り斎ふ命は母父がため」(20-4402)のように幣を奉り安全を祈願する習俗があった。安全を祈願するという点では、「可敝流廻の道行かむ日は五幡の坂に袖振れ我をし思はば」(19-4055)「足柄のみ坂に立して袖振らば家なる妹はさやに見もかも」(20-4423)のように、手向けのための「袖振り」がともに詠まれる。「山科の 石田の杜の 皇神に 幣取り向けて 我は越え行く 逢坂山を」(13-3236)と「逢坂山」は旅の安全を祈願する場としてある。また「海界」「磐境」など平面的な境界、すなわち境の意に転じたものが複合語中に見え、「サカ(坂)・アヒ(合)」から「さかい(境・界)」という語が生じたとされる。「海界」は「わたつみ」の国との境界である。「よみ」の国との間には「黄泉(よもつ)平坂」があったように、「うなさか」の存在が考えられていた。「即ち海坂を塞へて返り入りましき」(記上巻)「水の江の 浦島の子が…(中略)…海界を 過ぎて漕ぎ行くに 海神の 神の娘女に たまさかに い漕ぎ向かひ」(9-1740)「磐境」は「吾は天津神籬(ひもろぎ)及び天津磐境を起し樹てて当に吾孫(すめみま)の為に斎ひ奉らむ」(神代紀・下)とあり、神が降臨する場所としてある。坂は神との境界としても位置づけられる。 |
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