テキスト内容 | 言葉の精霊。言語には精霊が宿されているという信仰。万葉集に山上憶良は遣唐大使へ「神代より 言ひ伝て来らく そらみつ 大和の国は 皇神の 厳しき国 言霊の 幸はふ国と 語り継ぎ 言ひ継がひけり」(5-894)という歌を贈り、作者未詳の恋歌には「言霊の八十の衢に夕占問ふ占正に告る妹相寄らむと」(11-2506)と詠まれ、柿本人麿歌集に「磯城島の大和の国は言霊の助くる国ぞま幸くありこそ」(13-3254)と詠まれている。折口信夫は「言霊のさきはふ国」について「言語精霊が能動的に霊力を発揮することを言ふ。言語精霊は、意義どほりの結果を齎すものではあるが、他の精霊を征服するのではない。伝来正しき『神言』の威力と、其詞句の精霊の活動とに信頼すると言ふ二様の考へが重なつて来て居る様である。」と述べ、言霊とは言語精霊であるとする。また「言霊の八十の衢」についても、「言霊が八十の衢にゐるといふよりも、八十の衢が言霊の霊力を捉へるのに都合のよい所なのであらう。夕刻になると色々な精霊が動き出す。それの出現する所が八十の衢だといふのであらう。言霊を捉へるために実際の交通事情を利用してゐるのである。沢山の人の詞の上に精霊がのりかゝつて、信頼すべき詞を発揮する事になる。たそがれどきになると霊魂が浮動して、行きずりの人々の上に憑つて来るものと考へられてゐた。」と述べている。言霊に類似する語として「言向け」がある。記にはヤマトタケルの命が東征において荒ぶる者たちを言向けして平定したことが見える。これは言葉の力によって相手を平伏させる方法であり、言葉の霊力を示すものである。ただ、ヤマトタケルの西征では計略や暴力によって平定することから、東征の言向けは記のイデオロギーによるものといえる。それは暴力によるよりも言語に大きな価値基準を見いだしたということであろう。その意味では言霊への認識も慎重でなければならない。特に憶良が大和は皇神の威厳を示す国であり、言霊の幸わう国なので無事に唐から帰国できるのだといい、人麿歌集では敷島の大和の国は言霊が助ける国だというのは、言霊が大和という国と深く関与していることを示している。この点から見ると、言霊は皇神(スメ神)により管理されている言語精霊であり、言霊が幸わい、言霊が助けるというのは、スメ神の祝福による海路の安全や国家の安寧を意味するといえる。それは国や土地の安寧を守護する、スメ神と呼ばれる神が巫祝に憑依して発せられる言語活動であると思われる。そうした国家守護のスメ神の祝福の言葉が言霊であり、一般の人間の言葉に言霊が存在するものではない。それゆえ恋歌においても言霊が活動するのは、「八十の衢」という四方八達の特別な交通路であったのである。この交通路においても人々の発する言葉がスメ神の言霊として捉えられ、それが占いをする者には神の意志として受け取られたのである。折口信夫「呪言と叙事詩と」新『折口信夫全集 1』(中央公論社)、「言霊信仰」新『折口信夫全集 19』(同上)。 |
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