テキスト内容 | 祈る。求める。コフは神に祈り、無事を求めることが本来であった。そこから派生して「妻子どもは乞ふ乞ふ泣くらむ」(5-892)や「白妙の帯乞ふべしや恋も過ぎねば」(10-2023)のように、神に関わらず物を求める意味が出た。用字法の上では原則として乞字は求める、祈字は祈るの意味に使い分けられる。ただ、折口信夫は「こふと言ふ語には一方、乞・請或は古く稀に『祈』に当たるこふなど、宛て字する所謂四段活用のものがある。軽はずみな事は言へぬが、上一段活用と謂はれるものゝ含む所に、形式は問題外として古意が存して居り、『乞ふ』『請ふ』と謂つた例は、意義の分化したものが普通だと見ねばならぬ様である」(「恋及び恋歌」『全集8』)と述べ、恋は乞う系統から分化したものであり、こひうたというのは呪歌であり招魂歌なのだと説く(「抒情詩の展開」同上)。神に祈り何かを求める意味の「こふ」は、大伴坂上郎女の「祭神歌」(3-379、380)に「吾者祈奈牟(われはこひなむ)」と見え、また反歌にも「吾波乞嘗(われはこひなむ)」と見える。ここでは「祈」と「乞」の両字が見え、同じ意味としてある。神を祭る時の長い服を着て、木綿の布を手に取り持ち、こんなにも私は祈るのだといい、その祈り求める内容は「君」に逢えることなのだというのである。この歌は大伴の氏神に供え祭る時に作ったとあり、大伴の神を迎えるために詠まれた祭神歌である。氏の神を君と呼ぶのは、神に乞う行為が恋うことだという理解がある。神祭の歌も呪歌であり招魂歌であることによるからである。 |
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