テキスト内容 | 雲の立つ所。遠い彼方。「ゐ」は接尾語だが、「田居」や「宮居」のように、物がそのようにある状態を表す。雲居は恋の歌・旅の歌に多く用いらていて「遠くありて雲居に見ゆる妹が家に早く至らむ歩め黒駒」(7-1271)、「香具山は雲居たなびき鬱しく相見し子らを後恋ひむかも」(11-2449)、「吾妹子を行きて早見む淡路島雲居に見えぬ家つくらしも」(15-3720)のように、恋人と遙か遠く隔たっている状況や、そのことによって鬱々としている状況を説明する語として用いられる。また、雲居は家持の「立山の賦」には「朝去らず 霧立ち渡り 夕されば 雲居たなびき 雲居なす 心もしのに 立つ霧の 思ひ過ぐさず」(17-4003)のように、越中の神の山である立山に掛かる雲の様子が詠まれる。これは高橋虫麻呂が検税使の大伴旅人を筑波山に案内して詠んだ「時となく 雲居雨降る 筑波嶺を 清に照らし」(9-1753)と詠むことから見ると、神の山を讃える表現として用いられたことが知られる。ここには人麿の詠む「痛足川川波立ちぬ巻目の由槻が嶽に雲居立てるらし」(7-1087)のように、神の山に立つ雲の神聖性が見られ、その背景には同じ人麿の「あしひきの山川の瀬の響るなへに弓月が嶽に雲立ち渡る」(7-1088)から窺えるように、雲の立ち上る山を一対の風景として、豊かな雨をもたらす山への信仰が反映していると思われる。 |
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