テキスト内容 | 先住土着の住人。「クニス」がつづまり「クズ」とも言う。①奈良県吉野地方に住む先住の人々の呼称。万葉集には国栖を詠みこんだ唯一の歌「国栖(くにす)らが春菜摘(はるなつ)むらむ司馬(しば)の野のしばしば君を思(おも)ふこのごろ」(10-1919)がある。「司馬の野」は一説に吉野川上流の浄見原神社の周辺と考えられ(『新編』頭注)、国栖が吉野地方に住む先住の人々であることを示す。紀には「夫(そ)れ国樔は、其人となり甚だ淳朴(すなほ)なり。」(応神紀19年)の記述があり、吉野の国栖が特殊な歌や笛をよくし、大嘗会等で国栖奏(くずのそう)(国栖歌)を奏上していたことが知られる。②常陸国に先住していた人々。常陸国風土記、薩都(さつ)の里には「古(いにしへ)、国栖(くず)あり、名を土雲と曰ふ。」(久慈郡)と記される。薩都は現在の常陸太田市の北部。住人(国栖)の名前が不明であるため「つちくも」を個人名として表現する。また「昔国巣(くず) 俗(くにひと)の語(ことば)に都知久母(つちくも)。又夜都賀波岐(やつかはぎ)と云ふ。」(常陸国風土記茨城郡)という古老の伝えた話があり、「脚の長い人」を示す夜都賀波岐(八握脛)をその土地土着の神々である土蜘蛛とするところに、「土着の先住民を異類視して手足の長さを極度に誇張した表現」(『新編 風土記』茨城郡頭注)することで、都人とは異なる存在を理解しようとする意図が窺える。さらに「国栖」の生活、性情は「普(あまね)く土窟(つちむろ)を置け掘り、常に穴に居(す)み、人の来るあらば、すなはち竄(かく)れ、その人去れば更郊(またの)にいてて遊べり。」(常陸国風土記茨城郡)、あるいは「狼(おおかみ)の性(さが)、梟(ふくろふ)の情(こころ)ありて、鼠(ねずみ)のごと窺(うかが)ひ、狗(いぬ)のごと盗む。招(を)き慰(こしら)へらるることなく、弥(いよよ)、風俗(ふりしわざ)に阻(へだ)たりき。」(常陸国風土記茨城郡)と記され、都とは大きく異なる生活が地方にあったことを示している。 |
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