テキスト内容 | 地上世界を治める意。類似の表現に「天の下知らしめししを」(1-29)「天の下治めたまへば」(19-4254)などがある。記では、天皇支配と関わる語として「知」「治」がある。「治天下」の例は多くみられるものの「知天下」とは用いないことなどから「知」と「治」とは意味上書き分けがあったとされる。否定的な意見もあるが、「知る」とは「知る」側の力が及び、「知る」側のものとしてその世界にとり込められることであると定義される(高野正美「しる」『古代語を読む』桜楓社)ことからすれば、意味上差異をみることも考えられよう。この点で「高敷く」「高知る」が領有する意で使われながらも、「高知る」には統治する意と解すべき例がみられないことも参考となる。万葉集の諸例は、ほとんどが宮都讃美の歌に用いられているため、明確な違いをみせない場合が多い。「国知らす」の例は集中4例。山部赤人の難波離宮讃歌(6-933)では、淡路の海人の奉仕する様を見てなるほど天皇は国を知らすらしいと詠む。また、大伴家持の応詔預作歌(19-4266)では、天皇が国を知ろうとお思いになって宴をなさったので官人達は祝いさざめき騒いでお仕えすると詠む。いずれも奉仕する人々の様子を見ることによって、天皇支配の永続性を確認し讃美する。淡路の海人や八十伴男の姿は天皇に知られることで天皇支配に組み込まれるのである。新嘗祭の儀式ののちに催された宴席での短歌(19-4274)では、永遠に国を知らすようにと天に沢山の綱が張ってあると詠む。天に張りめぐらされた綱の実態には諸説あり、天は神殿の屋根あるいは神木の綱などと考えられている。しかし、これは土地占有のために綱が張られることと関わろう。新嘗の祭が天皇儀礼として行われることは国を領有することの象徴だからである。 |
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