くだら

大分類万葉神事語辞典
分野分類 CB文学
文化財分類 CB学術データベース
資料形式 CBテキストデータベース
+項目名くだら;百済
+表記百済
TitleKudara
テキスト内容国の名。高句麗の始祖朱蒙と卒本王の女との間に出来た沸流・温祚の二子が太子類利を避けて南に去り、沸流の没後、温祚は、沸流の居た地と民とを併せて建てた国である(前18、漢成帝鴻嘉3年)。次いで漢山に遷都し、その彊域は北は□[サンズイ+貝]河、東は走壌、南は熊川、西は大海に至り、さらに馬韓の衰微に乗じてこれを併合した。近肖古王の時、北漢山に遷都し、神功皇后の征討を受けて好を通じる。文周王の時、熊津に遷都し、東城王・武寧王と相継いで人質として日本国に在り、奉ずること愈々厚かった。しかし、しばしば新羅の圧迫を蒙り、武王の時、強を恃んで新羅を侵したが、義慈王の時、唐と新羅との連合軍に敗れて亡ぶ(660、唐高宗顕慶5、斉明6年)。万葉集では、「言さへく百済の原」(2-199)、「百済野」(8-1431)が見え、奈良県北葛城郡広陵町百済あたりの地を指して用いられる。「百済の原」には枕詞として「言さへく」が掛かるが、コトは言葉、サヘクは仙覚抄に「コトバノサヘラルヽ也、コトバノサダカニモキコエヌ心地」と記すように、外国人の言葉の聞き取りにくいことを言っている。「言さへく」はカラ(唐・韓)に冠する。「百済の原」に百済からの移住者がいたことに関わり冠されているのであろう。
+執筆者大堀英二
-68515402009/07/06hoshino.seiji00DSG000341くだら;百済Kudara国の名。高句麗の始祖朱蒙と卒本王の女との間に出来た沸流・温祚の二子が太子類利を避けて南に去り、沸流の没後、温祚は、沸流の居た地と民とを併せて建てた国である(前18、漢成帝鴻嘉3年)。次いで漢山に遷都し、その彊域は北は□[サンズイ+貝]河、東は走壌、南は熊川、西は大海に至り、さらに馬韓の衰微に乗じてこれを併合した。近肖古王の時、北漢山に遷都し、神功皇后の征討を受けて好を通じる。文周王の時、熊津に遷都し、東城王・武寧王と相継いで人質として日本国に在り、奉ずること愈々厚かった。しかし、しばしば新羅の圧迫を蒙り、武王の時、強を恃んで新羅を侵したが、義慈王の時、唐と新羅との連合軍に敗れて亡ぶ(660、唐高宗顕慶5、斉明6年)。万葉集では、「言さへく百済の原」(2-199)、「百済野」(8-1431)が見え、奈良県北葛城郡広陵町百済あたりの地を指して用いられる。「百済の原」には枕詞として「言さへく」が掛かるが、コトは言葉、サヘクは仙覚抄に「コトバノサヘラルヽ也、コトバノサダカニモキコエヌ心地」と記すように、外国人の言葉の聞き取りにくいことを言っている。「言さへく」はカラ(唐・韓)に冠する。「百済の原」に百済からの移住者がいたことに関わり冠されているのであろう。,342くだら百済大堀英二く1
資料ID31951

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