テキスト内容 | 所在不明。肥前風土記に見える杵島山からの転か。万葉集に「あられふる吉志美が嶽を険しみと草取りかねて妹が手を取る」(3-385)と見える。歌の左注によると、この歌は吉野の人である味稲という男が柘枝仙媛(つみのえのやまひめ)に与えた歌であると伝えている。味稲という男は『懐風藻』にも見える『神仙伝』に登場する漁師で、梁を張って漁をしていると、桑の枝が流れてきて梁に掛かり、それが仙女になったという。この『神仙伝』によれば、吉野に吉志美が嶽という山が存在したことになる。一方、この歌は肥前風土記逸文に「あられふる杵島が岳を峻しみと草取りかねて妹が手を執る」のように見え、これは神の山として信仰されている杵島山で行われた遊楽の歌であるという。おそらくこの遊楽は季節の祭りである歌垣のことであり、歌の内容を考えると、愛する男女が駆け落ちをして杵島山へと逃避行したが、山があまりにも険しかったので、草にしがみつこうとしたが彼女の手を取ってしまったというものであり、男が周りの女性たちを歌に誘い込むための誘い歌(笑わせ歌)であったと思われる。この歌は「杵島曲」といわれ、歌垣の基本歌曲として広く知られていたようである。記歌謡においても「梯立の倉梯山を嶮しみと岩懸きかねて我が手取らすも」と見え、この記歌謡は駆け落ちの歌であり、ここに共通した一連の歌の流れが存在している。やはり奈良の倉梯山での歌垣の場で歌われた、誘い歌であった思われる。このように吉志美が岳の歌は、地名を変えながら各地に伝承されて、歌垣の場に伝承されていた駆け落ちをテーマとした歌垣の基本歌曲であったといえる。辰巳正明「歌掛けの民俗誌」『折口信夫』(笠間書院)。 |
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