かる

大分類万葉神事語辞典
分野分類 CB文学
文化財分類 CB学術データベース
資料形式 CBテキストデータベース
+項目名かる;軽
+表記
TitleKaru
テキスト内容軽の地は、奈良県橿原市の東南大軽あたり。古くから市が立ち賑わっていた。「軽の道」(2-207、4-543)は、藤原京の西南にあたる大路である。交通の要衝であった「軽」の地には市が立った(2-207)。また、紀に懿徳2年に、都をこの「軽の地」に移し、「曲峡宮(まがりおのみや)」を造ったという。記では「軽の境岡宮(さかいおかのみや)」とする。この地には、「軽の池」(3-390)と呼ばれる池も造られており、この池は応神紀、記には、本牟智和気の御子が遊んだ池として描かれている。「軽」の地は、古来から宮が建つほど賑わいのある地で、その大路のある地には市が立ち人々が行き交うのである。また、神亀元(724)年10月に聖武天皇が紀伊国に行幸した時、それに従った笠金村が詠んだ歌には「天飛ぶや 軽の道より 玉だすき 畝傍を見つつ」(4-543)とあり、軽の道からは畝傍の山が望まれるのである。そのような「軽」の地には、「軽の社」(1-2656)があり、そこには神木の槻が生えていた。「天飛ぶや」は「軽」の枕詞であり、天を自由に飛ぶ「雁」と類音である「軽」にかかる。
+執筆者大堀英二
-68484402009/07/06hoshino.seiji00DSG000310かる;軽Karu軽の地は、奈良県橿原市の東南大軽あたり。古くから市が立ち賑わっていた。「軽の道」(2-207、4-543)は、藤原京の西南にあたる大路である。交通の要衝であった「軽」の地には市が立った(2-207)。また、紀に懿徳2年に、都をこの「軽の地」に移し、「曲峡宮(まがりおのみや)」を造ったという。記では「軽の境岡宮(さかいおかのみや)」とする。この地には、「軽の池」(3-390)と呼ばれる池も造られており、この池は応神紀、記には、本牟智和気の御子が遊んだ池として描かれている。「軽」の地は、古来から宮が建つほど賑わいのある地で、その大路のある地には市が立ち人々が行き交うのである。また、神亀元(724)年10月に聖武天皇が紀伊国に行幸した時、それに従った笠金村が詠んだ歌には「天飛ぶや 軽の道より 玉だすき 畝傍を見つつ」(4-543)とあり、軽の道からは畝傍の山が望まれるのである。そのような「軽」の地には、「軽の社」(1-2656)があり、そこには神木の槻が生えていた。「天飛ぶや」は「軽」の枕詞であり、天を自由に飛ぶ「雁」と類音である「軽」にかかる。311かる軽大堀英二か1
資料ID31920

PageTop