テキスト内容 | 神職をさすと見るのが一般であるが、その歌の解釈と関わって、この語の読みとその位置付けとに揺れがある。該当歌は「(いぐし)立て神酒据(みわす)ゑ奉(まつ)る神主部のうずの玉陰(たまかげ)見ればともしも」(13-3229)の1首であり、「三諸山の神に奉祀する神主の威儀を正した装(よそおい)を歌ったもの」(『全釈』)という解が一般的な理解である。その訓は、「神主部」で「かむぬし」と読むのが『古義』以来の一般的なものであるが、江戸期の賀茂真淵が「はふりべ」(『考』)と読み、『全集』とその系統をくむ注釈書や新大系は、「はふりへ・はふりべ」と読んでいる。『全集』は「ヘは複数を示す接尾語」とし、「ここは巫女(はふりこ)をいうか」としている。その前に位置する長歌作品について「新婚者の末長き多幸を祈念する賀歌」と見、当該歌を「婚礼に奉仕する神官の髪飾りを歌ったもの」とする解もある(『集成』、『釈注』)。また一連の作を「神妻交代儀礼の祭神歌」(当該歌は「神主部讃歌」)と見る高橋庄次の見解もある。「神主」の語は、例えば記に「意富多々泥古命(おほたたねこのみこと)を以(もち)て、神主(かむぬし)と為(し)て」(崇神天皇条)などと出る。この崇神記の「神主」の事例は、神事を司る者程度の意味であり、まだ職制としてのそれにはなっていない。さて、該当歌に出る「神主部」の訓は、「かむぬし」と読んで良いが、斎藤清衞が「神事を掌(つかさど)る部族を指す」(『総釈』)と指摘したように、ミワ氏の下に仕えた「部民」をさしたものと解するのが良い。なお、「人制(ひとせい)」としての「神人部(みわひとべ)」が信濃国防人に見られる(埴科郡、主帳「神人部子忍男」20-4402)。この「神主部」は、そうした人制に対する「伴部(ともべ)」と見るのが良い。古くより神主は、神と人との仲立ちをする者と位置付けられ、託宣に限らず、あらゆる場面において神の意思を体現する者として振る舞うことが少なくなかった。それに対して当該歌は、作者(未詳)が美的な讃美・讃嘆の対象として神主を詠じており、そうした点が新しい視点からの詠歌であると位置付けることが出来よう。直木孝次郎「人制の研究」『日本古代国家の構造』(青木書店)。高橋庄次「神妻交代儀礼の祭神歌三二二七」『万葉集巻十三の研究』(桜楓社)。 |
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