テキスト内容 | 原初の神が日の皇子を地上へと降すこと。万葉集には人麿の詠む日並皇子挽歌に、天地初発の時に天の河原に八百万・千万神々が集い、天地統治に関して会議を開き、天照らす日女の尊は天上を支配し、葦原の瑞穂の国は日の皇子(日霊を継承した御子)が統治することを決め、日の皇子は神々から地上に下されたということを「天地の 寄り合ひの極 知らしめす 神の命と 天雲の 八重かき別けて 神下し 座せまつりし」(2-167)と表現する。この歌から記紀神話に見られるニニギの命の降臨神話が想定されるが、それとは異質であることは、日の皇子が直接的に地上へと降臨し、地上支配の天皇へと展開するからである。「神下し」の語はこの例に見られるものであるが、記紀神話において神の降臨が見られるから、それを受けたものであることは理解できる。しかし、人麻呂の神話は新しい神話の創出の中に現れたものと思われ、天照らす日女の尊よりも早く天上には神々が存在して、この神々が天地のすべてを統治する神として描かれる。それは記紀神話においてイザナギ・イザナミの神以前に、天なる神の存在があることと等しいが、その天上の原初の神というべき存在が人麻呂の描いた神々であり、その神が日女の尊や日の皇子の支配権を持つ神であるところに特色があり、「神下し」とは、この原初の神々の意志である。そこには記紀神話と決定的に異なる考えがあり、人麻呂は天照大神以前に「天なる神」の存在を認めているのである。 |
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