かみのもろふし

大分類万葉神事語辞典
分野分類 CB文学
文化財分類 CB学術データベース
資料形式 CBテキストデータベース
+項目名かみのもろふし;神の諸伏
+表記神の諸伏
TitleKaminomorofushi
テキスト内容神の意志通り。「神のまにまに」と同義。万葉集中弧例であり、「我が恋は千引の石を七ばかり首に掛けむも神之諸伏」(4-743)が「神のもろふし」と詠まれ、「諸伏」は外来遊戯の一種で、4つの采が全部伏せると随意に進むことが出来ることから、「随意」の意を表すという。「随意」は倭語「まにまに」であり、「神のまにまに」(5-904)があり、「神のまにまに」と訓むこともできる。私の恋が千引きの石を7つばかり首に掛けるほど苦しいのも、「神の諸伏」だとあり、ここでは、神の思召しという意であろうと思われる。『古義』にはこの「諸伏」は「随似」の誤写であり、訓みは「カミノマニマニ」であるかとされている。→<a href="http://k-amc.kokugakuin.ac.jp/DM/detail.do?class_name=col_dsg&data_id=68444">かみのまにまに〔神のまにまに〕</a>
+執筆者渡邊明子
-68446402009/07/06hoshino.seiji00DSG000272かみのもろふし;神の諸伏Kaminomorofushi神の意志通り。「神のまにまに」と同義。万葉集中弧例であり、「我が恋は千引の石を七ばかり首に掛けむも神之諸伏」(4-743)が「神のもろふし」と詠まれ、「諸伏」は外来遊戯の一種で、4つの采が全部伏せると随意に進むことが出来ることから、「随意」の意を表すという。「随意」は倭語「まにまに」であり、「神のまにまに」(5-904)があり、「神のまにまに」と訓むこともできる。私の恋が千引きの石を7つばかり首に掛けるほど苦しいのも、「神の諸伏」だとあり、ここでは、神の思召しという意であろうと思われる。『古義』にはこの「諸伏」は「随似」の誤写であり、訓みは「カミノマニマニ」であるかとされている。→<a href="http://k-amc.kokugakuin.ac.jp/DM/detail.do?class_name=col_dsg&data_id=68444">かみのまにまに〔神のまにまに〕</a>273かみのもろふし神の諸伏渡邊明子か1
資料ID31882

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