テキスト内容 | 神をまつり、神に仕える神官。「はふり」は「はふり」の項参照。常陸国風土記行方郡の条に、箭括(やはず)の麻多智(またち)という者が、農耕の妨害をした夜刀神(蛇)を追い払った後、祟りを招かないように神社を作って夜刀神をまつったという説話が見える。その時の麻多智のことばに、「今より以後(のち)、吾神の祝(はふり)と為(な)りて、永代(とこしへ)に敬(ゐや)ひ祭らむ。」とある。「神の祝」と言うことで、単に「祝」と言うよりも、より直接的に夜刀神に語りかける形式になっていよう。万葉集では「御幣(みぬさ)取り 神之祝が 斎ふ杉原」(7-1403)とあるのが、集中で「かみのはふり」と訓む可能性のある唯一の例。ただし、「元暦校本」や「西本願寺本」をはじめとして、古写本には「みわのはふり」という訓の付いているものが多く、江戸時代の注釈書も、『拾穂抄』や『代匠記』等、同様に訓んでいる。これを『古義』が「神は、と訓べし、(神をとよむは、大神にかぎりたることゝおぼゆ、)」という理由を述べて「かみのはふり」と改訓し、これ以降、『井上新考』、『窪田評釈』、『全註釈』、『私注』、『大系』、『沢瀉注釈』等が「かみのはふり」の訓を採用した。ところが、1970年代頃から旧訓が復活し、『全集』、『集成』、『全注』、『新全集』、『釈注』、『新大系』等、近年の諸注釈は「みわのはふり」と訓み、これが今日における定訓となっている。両訓のいずれが妥当であるか、決定的な根拠はないが、万葉集で「神」と書いて「みわ」と訓ませたとおぼしき例は、三輪山を指す「神山之(みわやまの)」(2-157、12-3014)などがある他、「神之埼(みわのさき)」(3-265)、「神前(みわのさき)」(7-1226)など、三輪山以外の地名を表記した例もあるので、『古義』の指摘は事実と異なる。また、「味酒を 三輪の祝が いはふ杉」(4-712)の歌から、大神神社の神官が三輪山の杉を大切に守っていることが窺えるので、当該歌の「神之祝」を「みわのはふり」と訓む蓋然性は高いものと考えられる。 |
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