テキスト内容 | 神の手、神の掌中。または、「手」を「渡り手」「長手」のように道を表す語とみて、神のいる道の意とする説もある(『新全集』等)。万葉集には南海道陸行時の紀伊路を詠む作者未詳歌「潮満たばいかにせむとか海神の神が手渡る海人娘子ども」(7-1216)1例のみ。語釈については諸説あり、『全註釈』は「海上に突出してゐる岩礁などを、海神の手に譬へてゐる」とする。『全注』は、上2句の内容を踏まえ、平常は海水に隠れているが干潮時にのみ歩いて渡ることができる岩礁の道を、海神の手のように感じた表現とする。なお、「神」を冠する連体修飾語には、助詞ノを用いるのが通例である。当該の助詞ガは、海神に対する「憎悪・恐怖」(『新全集』)ないし「畏怖」(『和歌大系』)を表すものであり、当該語詞がすでに玉津島において遭難などの起こりやすい難所として地名化していたとの指摘もある(『釈注』)。年若い海女らは、引き潮を見計らってこの岩礁を歩いて渡り、貝などを取っていたものとみられる(『和歌大系』)。『続日本紀』によると、724(神亀元)年10月聖武天皇の玉津島への初行幸があり、その風光明媚を讃えるとともに、地祇祭祀を命じる詔が出されている。 |
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