テキスト内容 | かみなり。特にその音を表す。「鳴る神」として、「音のみ聞く」にかかる枕詞を構成する例も存する(6-913、7-1092)。記では、応神条において、髪長比売の評判・噂が都まで伝わっていることを「雷の如(迦微能碁登)」としていい、万葉集においては、滝の音を示す例(12-3016)や、他人の噂の激しいことを示す例(14-3421)が存し、雷鳴を比喩的に用いた表現であると考えられる。雷(いかづち)の語は、神威のあらわれや畏怖の情と共に用いられ、権威の象徴としての神(もしくは天皇)と、その実際的な威力のあらわれとしての雷(いかづち)という意識の中で用いられるのに対し、雷(かみ)として用いる場合には、自然現象における雷鳴を指している点は注目される。一方で、想い人を見ることの恐れ多さを、「近く光りて鳴る神の」(7-1369)と喩える例も存し、この表現は、神威もしくは天皇の権威のあらわれとしての雷(いかづち)の在り方に類する例とも考えられる。これは、「光りて鳴る」と、自然現象における雷鳴と雷光を併せ持った表現によって為されているものと考えられる。なお、「霹靂」を「ナルカミ」と訓む説も示されているが、現在では雷(かみ)もしくは「鳴る神」とは別の表現として捉える解釈が多い。「霹靂」は、万葉集では「霹靂の 日香天之 九月の しぐれの振れば」(13-3223)1例のみであり、次句の訓が諸説あるため意義を定め難い。紀においては、推古紀26年8月条に「霹靂の木」、天智紀27年秋条に「家にカムトケせり」とあり(訓は共に「カムトケ」)、「神解け」の意とされるが、落雷を意味していると考えられるため、雷(かみ)もしくは「鳴る神」とは異なった表現であると考えられる。 |
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