テキスト内容 | 下総の国の葛飾郡の地名。現在の東京都葛飾区一帯。用字は「勝鹿」(3-421題詞)、「勝壮鹿」(3-431)、「可都思加」(14-3384)、「可豆思加」(14-3349)、「加豆思賀」(14-3385)。題詞の割注に「東俗語云、可豆思賀能麻末乃弖胡」とある等を参照して、「かづしか」と訓む。「かづしが」とも。『正倉院文書』に「養老五年下総国葛飾郡大嶋郷」戸籍が残り、『高橋氏文』に「葛飾野」とある。「かづしか」は万葉集3-431~3、9-1807~8、14-3349、14-3384~7に登場。葛飾の歌が10首におよぶこと、上記戸籍の復原作業等を踏まえると、葛飾は古代東国の万葉世界の一中心と云えるという(関和彦『古代農民忍羽を訪ねて』)。また「鳰鳥の葛飾早稲を饗すとも(14-3386)」によって、葛飾と新嘗の結合が印象付けられる。しかも「葛飾の早稲」で神祭をするという。新嘗の夜は、女子が家を守って厳粛に祭事を行ない、斎戒して外来の人を入れない。常陸国風土記に、御祖の神が、富士山の神のもとを訪れたところ、今夜は新粟の嘗の夜であるからといって宿を断ったとの説話は、この間の神事の厳粛さをよく示している。また「鳰鳥」が「葛飾」の枕詞となり得るのは、その習性として「潜く」ことが印象付けられていたからである。ということは、人々は葛飾といえば、「潜く」が自然に想起され、さらに新嘗が連想されたということだ。また「潜く」は、祈りの姿でもあった。山部赤人・高橋虫麿また東歌に勝鹿真間娘子は歌われたが、これは二男一女型の菟原処女、桜子、鬘児など一連の、男を拒む女の系譜にある伝説と見るべきで、播磨国風土記の隠妻伝承とも密接する。これらは原型的には、神の妻として人間の男を受け入れることのできない、神に仕える巫女に対する幻想が絡んで居たと云うべきである。以上「かづしか」が、古代神事を奥行き深く印象づけるトポス/言葉として呪的にも長く記憶されたのである。 |
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