かしま

大分類万葉神事語辞典
分野分類 CB文学
文化財分類 CB学術データベース
資料形式 CBテキストデータベース
+項目名かしま;鹿島
+表記鹿島
TitleKashima
テキスト内容①和歌山県みなべ町(旧南部町)埴田(はねた)崎の西方約750メートル沖合に位置する島。②茨城県鹿嶋市と鹿島郡の地。③石川県七尾市付近の地。①「鹿嶋」(9-1669)は、紀伊の国の三名部の浦とともにうたわれることから、今日の南部湾沖に浮かぶ鹿島とされる。二つの島からなり、周囲は4キロメートルほど。現在埴田地区にまつられている鹿島神社の旧鎮座地で、当社は『紀伊続風土記』によれば、常陸の国の鹿島神宮と同じく「武甕槌命」をまつるという。いつの時代からかは不明であるが、地元の人々によって島それ自体が神聖視されてきた。田辺湾の神島(かしま)と同様に亜熱帯植物が繁茂することで知られている。②「鹿嶋郡」(9-1780題詞)は、常陸国風土記に「香島郡」とあり、当地には鹿島の神(20-4370)をまつる鹿島神宮が鎮座する。「鹿嶋之埼」(7-1174、9-1780)は、現在の千葉県銚子市三宅町一帯の地とされる三宅の潟に向かい合うとうたわれることから、一般に今日の神栖市旧波崎町あたりに比定される。ただし、『全注』巻7は、古代交通路から考えて、鹿島神宮のある鹿島台地が浪逆(なさか)の海(14-3397)に突き出ていた南端部かと説く。③能登郡の「香嶋」(17-4027)は、『倭名抄』(二十巻本)にみえる「能登国能登郡加島」にあたり、「香嶋津」(17-4026題詞)はその津とみられる。『延喜式』の主税・諸国運漕雑物功賃条に、この香島の津に相当する「加嶋津」が記されていて、国津として機能していたことがわかる。おそらく、国府近くに位置したと推定され、今日の所口付近かという。香島根(16-3880)は旧訓「そもたね」。原文「所聞多祢」の「所聞多」は、聞こえる所が多いの意で「かしまし」いことからカシマネと訓むとされる。正確な位置はわからないが、能登郡加島付近をさすものと考えられる。『釈注』は、「鹿島嶺」として七尾市東方の宝達山脈かと推測する。
+執筆者入江英弥
-68402402009/07/06hoshino.seiji00DSG000228かしま;鹿島Kashima①和歌山県みなべ町(旧南部町)埴田(はねた)崎の西方約750メートル沖合に位置する島。②茨城県鹿嶋市と鹿島郡の地。③石川県七尾市付近の地。①「鹿嶋」(9-1669)は、紀伊の国の三名部の浦とともにうたわれることから、今日の南部湾沖に浮かぶ鹿島とされる。二つの島からなり、周囲は4キロメートルほど。現在埴田地区にまつられている鹿島神社の旧鎮座地で、当社は『紀伊続風土記』によれば、常陸の国の鹿島神宮と同じく「武甕槌命」をまつるという。いつの時代からかは不明であるが、地元の人々によって島それ自体が神聖視されてきた。田辺湾の神島(かしま)と同様に亜熱帯植物が繁茂することで知られている。②「鹿嶋郡」(9-1780題詞)は、常陸国風土記に「香島郡」とあり、当地には鹿島の神(20-4370)をまつる鹿島神宮が鎮座する。「鹿嶋之埼」(7-1174、9-1780)は、現在の千葉県銚子市三宅町一帯の地とされる三宅の潟に向かい合うとうたわれることから、一般に今日の神栖市旧波崎町あたりに比定される。ただし、『全注』巻7は、古代交通路から考えて、鹿島神宮のある鹿島台地が浪逆(なさか)の海(14-3397)に突き出ていた南端部かと説く。③能登郡の「香嶋」(17-4027)は、『倭名抄』(二十巻本)にみえる「能登国能登郡加島」にあたり、「香嶋津」(17-4026題詞)はその津とみられる。『延喜式』の主税・諸国運漕雑物功賃条に、この香島の津に相当する「加嶋津」が記されていて、国津として機能していたことがわかる。おそらく、国府近くに位置したと推定され、今日の所口付近かという。香島根(16-3880)は旧訓「そもたね」。原文「所聞多祢」の「所聞多」は、聞こえる所が多いの意で「かしまし」いことからカシマネと訓むとされる。正確な位置はわからないが、能登郡加島付近をさすものと考えられる。『釈注』は、「鹿島嶺」として七尾市東方の宝達山脈かと推測する。229かしま鹿島入江英弥か1
資料ID31838

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