かざはやのうら
大分類 | 万葉神事語辞典 |
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分野分類 CB | 文学 |
文化財分類 CB | 学術データベース |
資料形式 CB | テキストデータベース |
+項目名 | かざはやのうら;風早の浦 |
+表記 | 風早の浦 |
Title | Kazahayanoura |
テキスト内容 | 山陽道の遠国にあたる安芸国の地で、現在の広島県東広島市安芸津町風早付近の海岸。三津湾に臨む。「風早」とは、風が激しく吹く土地をさす語であり、それに由来する地名であるとみられる(『釈注』)。万葉集には遣新使人歌群の歌と題詞に各1例のみ。聖武朝の736(天平8)年6月、新羅に向けて出発した大使・阿倍継麻呂ら一行の渡航記録ともいうべき巻15前半部において、作者未詳の「風速の浦に船泊まりする夜に作る歌」2首があり、使人たちは当該地に停泊したとみられる。1首目に「我が故に妹嘆くらし風早の浦の沖辺に霧たなびけり」(15-3615)と歌っており、風早の沖辺に立ちこめる霧を、愛しい妻が発する嘆きの溜息とみなして詠む。続く15-3616番歌においては、その溜息の霧を存分に身にまといたいと願っており、故郷を離れゆくなかで妻を慕わしく思う作者の心情が表現されている。これは、女性により霧をわが嘆きの溜息と知って欲しいと歌われる遣新羅使人歌群冒頭の贈答歌(15-3580)に対する答え歌ともみられる。なお、『続日本後紀』仁明天皇条には賀茂郡の人である風早審麿を孝子として褒賞する記事がみられる。 |
+執筆者 | 小林真美 |
コンテンツ権利区分 | CC BY-NC |
資料ID | 31832 |
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