テキスト内容 | ①常世の国の香り高い果物。②橘の実。必ず「時じくの」という修飾語を前にともなって用いられる。「時じく」は、紀に「非時」と表記されるように、定まった時がなく、いつでもという意で、「時じくのかくの木の実」とは、時季ならぬ時に実る香りのよい果物を意味する。「かく」は、香り高いという意とされるが、輝くという意であるとする解釈もある。記紀の伝承では、垂仁天皇がタヂマモリを常世の国に派遣してこれを探すように命じたが、海の彼方の常世の国との往来に十年の歳月が経過し、入手して帰国した時には天皇は崩御されていた。タヂマモリは天皇の御陵にかくの木の実を供え、その場で号泣して息絶えたという。かくの木の実は、常世の国の不老不死の霊果であったが、天皇はこれを口にすることなく亡くなったという筋立てには、常世ならぬ現世の人間の生の制約も暗示されていよう。記紀ともに、この木の実は「橘」であると伝える。橘は、常世に強く結び付けられている果樹とされ、紀(皇極天皇)には橘が常世神という虫を生ずる樹木であるという伝承もある。常世は、海の彼方の豊饒の源であり、不老不死の国であった。橘は、常世から将来された、豊饒を導く果樹と伝えられたのであろう。この風潮は、橘家の隆盛と相俟っていたと考えられる。万葉集(18-4111)では、タヂマモリがこれを常世からもち来たったことを歌った後、この植物―橘の、花の芳しさ、実の美しさ、冬にも緑に繁る葉のようすを歌いあげている。この歌は大伴家持の作であるが、家持はこの歌で橘家、特に橘諸兄の繁栄を歌っているとされる。なお、タヂマモリが海彼の常世の国への遣使として選任されたのは、彼が来朝した新羅の王子、天之日矛の末裔と伝えられることと関連していよう。この橘―かくの木の実は、日本原産のヤマトタチバナではなく、温州蜜柑の原種であったかとされている。 |
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