テキスト内容 | ①名詞。川を中心とする山に囲まれた一帯の地。カハ=ウチの約。②国名。今の大阪府の東半部にあたる。②は①のような地勢を成すことに由来する国名である。万葉集の歌文中に②の意で用いられるものは「河内女の手染めの糸」(7-1316)の1首のみ、渡来系の人々が伝えた製糸・染色が大和川流域の地に盛んであったことに基づく。①の意で用いるものは圧倒的に吉野に偏り、「吉野川激つ河内」(1-38)、「み吉野の清き河内」(6-908)、「み吉野の瀧の河内」(6-910)、「み吉野の激つ河内」(6-921)などとうたわれる。人麻呂にはじまる吉野讃歌では山川を対比してその美をうたうことが伝統となり、「山川の清き河内」(1-36)が吉野の聖性を象徴する表現として定着した。吉野讃歌が山川対比構成をとることについて『釈注』は「聖地には、国土形成、五穀豊穣の二大要素である「土」(山)と「水」(川)とが相ともに充ち足りているのでなければならぬという思想がはたらいている」と説く。中国の山川望祀(『礼記』)の制からの影響も考慮されよう。「河内」の清浄さは形容詞「清し」「さやけし」のほか、「激つ」(奔流する、渦巻き流れる)の語によって強調される。越中時代の池主が立山をうたうに「嶺高み 谷を深みと 落ち激つ 清き河内に」(17-4003)といい、家持が二上山の風景を「射水川清き河内」(17-4006家持)とうたうのは吉野讃歌への連想があろう。しかし、所在未詳の地「結八河内」(7-1115)にしても連れ立つ歌に「結八川 またかへり見む 万代までに」(7-1114)とうたわれるから、「河内」にはやはり山川の清らかな聖地という語性が伴うようで、東歌の「足柄の 刀比の河内に 出づる湯の」(14-3368)を見ても斎戒沐浴の地であったかと推測される。「刀比の河内」は現在の神奈川県湯河原。 |
---|