テキスト内容 | 神仏に合掌、礼拝する。または、貴人に礼をする意という。「をがむ」とも。推古20年春正月に大臣蘇我馬子が奉った寿歌「やすみしし我が大君の隠ります天の八十蔭出で立たすみそらを見れば万代に斯くしもがも千代にもかくしもがも畏みて仕へ奉らむ拝みて仕へ奉らむ歌づきまつる」(紀歌謡102)にも「拝む」は見られる。この歌謡について土橋寛は古い室寿の寿詞や宮廷寿歌の系譜を受け継ぎつつも「地上的なものから天上的なものへ、呪術的なものから宗教的なものへ、氏族的心情から官僚的心情へ、という風に宮廷寿歌の変化」が行われたと指摘する。辰巳正明はこの天上的なものとして天皇の宮殿を捉えるのは「光宅」の思想によるものだとする。「光宅」とは、天子の聖徳が遠方に及ぶことであり、その四方に光宅たる天皇に対する忠誠誓約が「畏みて仕へ奉らむ拝みて仕へ奉らむ」という形で前面に押し出されているという。万葉集の「長皇子、猟路の池に遊でませる時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌」では「やすみしし 我が大君 高光る 我が日の御子の 馬並めて み狩立たせる…(中略)…鹿こそは い這ひ拝め 鶉こそ い這ひもとほれ 鹿じもの い這ひ拝み 鶉なす い這ひもとほり」(3-239)と「高光る我が日の御子」である長皇子に鹿も跪いて拝み、臣下も同じように拝む様子が描かれる。これは上記の歌謡と重なる部分があり、天上なる高貴なものへの礼拝として「拝む」が使われていたことが理解できる。土橋寛『古代歌謡全注釈 日本書紀編』(角川書店)。辰巳正明「正月儀礼と上寿酒歌」『万葉集と中国文学第二(笠間書院)。 |
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