テキスト内容 | 若返る、蘇生する、復活する意。『続日本紀』717(霊亀3)年9月条に、元正天皇が美濃に行幸し、当耆(たき)郡多度山の美泉を訪れたことが記されている。この美泉は、これを飲めば病を治し、老いた者も若返るとされ、「就きて飲み浴(あむ)る者、或は白髪黒に反り、或は頽髪更に生ひ、或は闇(おほつかな)き目明らかなるが如し。自餘(そのほか)の痼疾(やまひ)、咸く皆平愈せり」とある。これは、祥瑞の中でも大瑞に相当することから霊亀3年を改めて養老元年とする改元の詔が11月に出されている。こうした醴泉を万葉集では同じ美濃国の多芸の行宮に行幸した際の歌に、「老人の をつといふ水」(6-1034)と表現している。こうした若返りの霊験には例えば同じ万葉集に「石つなのまたをち返りあをによし奈良の都をまたも見むかも」(6-1046)とあるように、荒廃した奈良の京が再び栄えることを、蔓性植物とされる「石葛」が、時期を定めて復活する様にたとえる歌にもうかがえるような自然現象を観察することによって得られる実感を伴っていた。ただし、こうした自然現象は人知のあずかり知らぬことであって、「天なるや月日のごとく我が思へる君が日に異に老ゆらく惜しも」(13-3246)とあるように、あなたが日ごとに老いてゆくことを惜しみ、若返らせるための妙薬として登場する。「月読の持てるをち水」(13-3245)がそれを成すと考えられていた。ところで、こうした発想は「吾妹子は常世の国に住みけらし昔見しよりをちましにけり」(4-650)とあるように、「常世の国」つまり他界の発想と結びついている。このことは大国主命の根国訪問譚やヒコホホデミノミコトの海宮遊幸譚といった死と復活の神話がその背後に存在していることを示しているといえよう。 |
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